夜の街で「関東連合」はブランドだった(撮影/写真部・外山俊樹)
夜の街で「関東連合」はブランドだった(撮影/写真部・外山俊樹)

 暴力団でも暴走族でもない「半グレ」集団といわれる関東連合。いまの時代ならではの独自の“進化”を遂げたグループの特異性について、ノンフィクション作家・石井光太氏と、元リーダーで『いびつな絆 関東連合の真実』の著者である工藤明男氏が語り合った。

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石井:1990年代後半のITバブル前夜の時代に、関東連合は六本木へ進出していきました。“特異”だと思ったのは、そこで芸能界や当時イケイケだったIT企業、ベンチャー企業の社長たちとつながりを持っていくところです。ここが、これまでの不良グループと決定的に違いますよね。こうした人脈は、誰がどうやって作っていったんですか。

工藤:関東連合OBのK君の存在が大きいですね。彼はパイオニアでした。暴走族をやめた後に、街に出ることに積極的に取り組んでいたんです。後輩を連れては、チーマーのグループを作らせたり、中学生のころ少年院で英語を勉強しているんで、外国人とも仲良くしていたり。

 そのK君が、AVプロダクションをやっていて、渋谷センター街に人気メンズ雑誌の読者モデルを立たせたりして、女の子を集めていた。そこで仲良くなった女の子たちを連れて、社長とか芸能人の集まるところに顔を出していたんです。もともと僕らは渋谷とかのチャラチャラした奴らとは折り合いが悪かったんですが、そんな“古武士”のような僕らをK君は面白がったようで、そのうち関係が深まって、僕らを芸能プロダクション社長の運転手とかボディーガードに送り込むようになった。巧みに僕らを売り込んで、その看板を効果的に使っていたのです。

石井:それで、六本木とか西麻布に集まるIT社長など、経済界にも進出していったと。

工藤:K君が一緒に飲み歩いていたのは、芸能界の人とか、それこそIT起業家とかより上の世代の経営者たちでしたね。そうしたつながりで、自称元JリーガーのFというヤツもいた。彼も女の子を使って、人脈を広げていました。まず女の子に、Jリーガーを紹介してあげるといってコンパの席を設けるんです。そこで手なずけた子たちを社長さんらの接待に使う。

 最終的に、そうした場によく呼ばれていたのが、海老蔵事件の石元太一です。太一はFよりもだいぶ年下なので、気軽に呼べるし、「関東連合のリーダーの太一」に「先輩、先輩」と慕われているところをみせれば、社長さんらにも顔が立つ。社長さんらにとっても、ヤクザではなく、“武闘派”として街で有名な僕らを連れまわすことは、ブランドですから。

AERA 2013年8月5日号