作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長の「女性蔑視発言」について。
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森さんは守られている。
「謝罪したのだから」「あれほどの人はいないのだから」「オリンピックができなくなるから」とかばわれ、「おじいちゃんだから仕方ない」「昭和だから仕方ない」と許され、「失言一つで大騒ぎするな、不寛容な社会の方が問題だ」など、批判を制する声も出てきた。こうなったら森さんに辞任を促すことができるのは菅義偉首相や橋本聖子五輪担当相のはずだが、2人とも「組織委員会が決めること」と、一般人と同じ立場のふりをしている。
政治家や公職に就く人の発言は重たく、失言は時に命取りになる。東日本大震災をめぐり「東北でよかった」などと発言した今村雅弘復興相や、「復興より議員が大事」と言った桜田義孝五輪担当相が辞任したのが良い例だが、それでも振り返ってみれば、女性を公然と侮辱し、差別発言が問題になり、地位を奪われてきた公人はどれほどいるだろうか。
石原慎太郎都知事の「ババア発言」(2001)でも、石原氏は無傷だった。女性たちは黙っていたわけじゃなく、大騒ぎして裁判まで起こしたが、辞めなかった。「子どもをつくらない女性を税金で面倒みるのはおかしい」(2003)と、当時、自民党少子化問題調査会の会長を務めていた森喜朗元首相が言った時も許され、「集団レイプする人はまだ元気があるからいい、正常」(2003)という発言をした自民党の太田誠一氏も直後の選挙で落選はしたが、その後復帰し大臣を務めていた。「女は産む機械」(2007)と言った柳沢伯夫厚労相も辞任していない。西村真悟防衛政務次官が「集団的自衛権は『強姦されてる女を男が助ける』という原理ですわ」(1999)と発言した時は辞任に追い込まれたが、これは「日本も核武装した方がよい」という同時にした発言の方が、むしろ問題とされたと記憶している。書いているうちに思い出したが、私が中学生だったころ、文化庁長官だった故三浦朱門氏は、「女性を強姦する体力がないのは男として恥ずべきこと」(1985)と言い大変な問題になったが、辞任しなかった。
ここに記した全ての発言は、ずっと私の心に刺さり続けている。この社会で女性として生きること、の覚悟を強いられるような恐ろしさとともに。