リー・クアンユー氏の死を悼むシンガポールの人々。リー氏は生前、国民の前でも厳しい表情を崩すことはあまりなく、シンガポール人にとっては「厳しい父親」だった/3月23日(写真:gettyimages) @@写禁
リー・クアンユー氏の死を悼むシンガポールの人々。リー氏は生前、国民の前でも厳しい表情を崩すことはあまりなく、シンガポール人にとっては「厳しい父親」だった/3月23日(写真:gettyimages) @@写禁

 シンガポールの元首相、リー・クアンユー氏が死去し、世界は功績をたたえた。そんなリー氏は国民を最後まで信じていなかった。

 シンガポール人は外形的には間違いなく幸福である。1人あたりの国内総生産はアジア最高。国際競争力はスイスに次ぐ世界2位。アジアのビジネスの中心であり、世界で最もビジネスがしやすい国とも評価されている。

 一方、最新の報道の自由度ランキングでは、ロシアとリビアに挟まれた153位。アジアでは最低レベルだ。

 1965年の建国以来、「国父」として君臨したリー・クアンユー氏が91歳で世を去り、世界は称賛の大合唱に包まれた。功績、能力は文句なく素晴らしい。だが、功罪の「功」ばかり強調されたきらいがある。

 シンガポールで働く記者は、つらい。国内政治の記事が非常に書きづらいからだ。私の身の上にもこんなことがあった。

 2002年当時、リー氏は上級相だった。長男の現首相シェンロン氏が副首相に就き、同氏の妻がテマセクという政府系投資会社の執行役員になった。そこで朝日新聞の特派員だった私は、「縁故主義」批判が広がっている、という記事を書いた。

 同国外務省の友人が「危ないぞ」と内々に連絡してきた。やがて首相府から正式な抗議レターが届き、震えが走った。

 シンガポールでは、リー氏批判を行った欧米メディアが、いくつも名誉毀損などで高額賠償を求められ、大変な目に遭っていた。レターは「どのぐらいの民衆が不満を述べているのか、具体的根拠を示してほしい」と証明困難な要求を突きつけ、訂正と謝罪を求めていた。

 私は「内容に間違いはない」と、首相府に何度も丁寧に記事の趣旨を説明し、最後は理解してもらえた。主観的に書かず、「人々がこう語っている」という客観的な表現に徹したことが、防波堤になった気がする。

 国内メディアは、政権批判や政権の内部情報をほとんど報じない。主な新聞はシンガポール・プレス・ホールディング、主なテレビ・ラジオはメディアコープ社という政府の影響の強い企業の傘下にある。シンガポール政治に詳しい拓殖大学の岩崎育夫教授は言う。

「自由や民主主義という言葉は、リー氏の辞書にはありません。外国企業の誘致による経済発展が生き残りの道だとして、野党や労働者を抑圧してでも政治の安定と経済成長を実現しました。国家運営は我々に任せ、国民は黙って従って成長の成果を享受せよ、という『愚民観』で統治。自由を望む国民の気持ちを最後まで理解できなかった」

AERA 2015年4月27日号より抜粋