いよいよ夏休みが到来。志望する高校や大学などに向けて勉強する受験生にとっては"天王山"といわれるほど大切な時期です。そんな受験戦争の中、近年、薬物を使用して知能をアップする「アカデミックドーピング」なる行為が浸透し始めていることをご存じでしょうか?



 脳研究者・池谷裕二氏による本書『できない脳ほど自信過剰』によると、脳の能力を高める薬は「スマートドラッグ」と呼ばれるもので、とりわけアメリカで広がっているといいます。2009年にシドニー大学のカキック博士が発表した論文の中で、過去1年にスマートドラッグを経験したアメリカの学生は25%に及んだことが注目を集めました。日本でも今年5月の一部報道で、広まってきていると伝えられたばかりです。



 学生たちが使用するのは主にアデラール、リタンといった薬物で、もともとはADHD(注意欠陥多動性障害)に処方されるものでした。現在は認知症治療薬としても高齢者の認知機能改善に使用されているのですが、若者の認知力を高めるという報告も相次いでいるといいます。自身の祖父母が処方中というケースなどから、より身近になったことで受験生が手を出しやすくなっているようです。



 著者の池谷氏は、「できるだけ薬剤に頼らないで受験を乗り切ってほしい」と反対する一方で、「脳研究者として断固とした態度で近年の傾向を否定することは難しい」とスマートドラッグの実情を嘆きます。



 「現状では違法ではありません。もちろん将来的には規制される可能性はありますが、仮に規制しても、スポーツ界のドーピング事件を見てわかるように、あの手この手が次々に生まれ、根絶するのは不可能でしょう。」(本書より)



 スポーツ選手によるドーピングにおいては、身体を蝕まれてしまいホルモン異常といった副作用があり、最悪の場合死亡するケースもありますが、スマートドラッグについて、池谷氏はこう続けます。



 「薬剤師の資格をもつ私の視点からみて、詭弁に近いものを感じます。そもそも認知治療薬は、体力が衰えつつある老人が10年、20年と飲み続けられるように安全に設計されています。副作用はめったに現れないでしょう」(本書より)



 池谷氏は「薬を使用するのは卑怯」というモラルに反するという声にも、「どこまでならよいのか」という"線引きの問題"が避けられないとして、例に「カフェインの摂取は卑怯か」「親が栄養バランスを考えた食事を差し出すのはモラルに反するか」を上げます。



 そうしたいくつもの問題が複雑に絡み合ったアカデミックドーピング問題ですが、池谷氏は最後にこう見解を述べています。



「古代ギリシャ時代には、ローズマリーを髪にスプレーすると記憶力が高まると信じられていました。『手軽に』という願望は古来変わらないようです。しかし私は信じています。苦労を通じて身につけた知識こそが真に有益な知性に孵化するはずだ、と。」(本書より)