人間は死んだらどうなるのか。そんな素朴でありながら、永遠に答えの出ない究極の問い。ふと脳裏を去来する瞬間は誰しもあるのではないでしょうか。



 死についてのさまざまなデータを客観的に並べてみることにより、死について考えてみようと本書『死にカタログ』にて試みているのは寄藤文平さん。



 寄藤さんによれば、国や宗教などによっても、死後の世界のとらえ方は異なるようで...たとえば、古代日本・五行思想では、死んだ人は黄泉(よみ)という地底世界に行くことになっていたそう。島根県にある黄泉比良坂(よもつひらさか)という坂道で、黄泉と現世は繋がっていたのだといいます。



 北海道の先住民族であるアイヌ民族では、亡くなると現世と時間が逆さまな下界に。現世が昼なら下界は夜、現世が夏なら下界は冬、といったように考えられていたため、「夏に死んだ人は冬支度、冬に死んだ人は夏支度」(本書より)で埋葬されたのだそうです。



 「近所にある実在の島に行く」という、ほのぼのとした死のとらえ方が見受けられるのは、パプアニューギニア・トロブリアンド諸島、キリウィナ島の民族。本書によれば、近所の島に行き、「年老いると海で脱皮。胎児に戻ってヤシの葉に包まれて運ばれたあと、もとの島で新しい命として生まれる」と考えられていたのだといいます。



 死ぬと動物になる、と考えていた民族も多い模様。フィリピン・スーロッド族では、「遺族たちが死の儀式に失敗したとき、死者が罰としてコオロギ」にされたり、アイルランド民間信仰では、「肉体から魂が離れると、魂はチョウ」に、フランス・ブルターニュ民間信仰では、「魂が、ハエのような身近な生きもの」に、スラブ民間信仰では、「魂は、鳥になって天国にのぼっていく」(すべて本書より)と信じた地域もあったのだそう。



 また、本書では現代的なところも教えてくれていて、「遺体をフリーズドライで粉末状にし、堆肥にするエコな埋葬」がスウェーデンで考えられていたり、スイスには「遺灰を炭素化して、人工ダイヤモンドにする」会社も。さらにアメリカでは、「蘇生が可能になるかもしれない未来まで、肉体の時を止める冷凍保存」がなされるなど、古今東西、さまざまな死の受け入れ方があることがわかります。



 これらを通し、「ときには戒め、ときには励まし、ときには道具として、生きている人がやる気の出る死のカタチ。そういうカタチを探すうちに、現在の死のカタチができあがったのではないでしょうか」と述べる寄藤さん。死について考えてみたくなったときには、そっと本書を開いてみてはいかがでしょうか。