(写真:BOOKSTAND)
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今年1月にプロレス関連本『1984年のUWF』を上梓した、ノンフィクションライターの柳澤健さん。ほかにも『1985年のクラッシュ・ギャルズ』や『日本レスリングの物語』を手掛けるなど、主にスポーツに関する執筆を行っています。柳澤さんは、海老沢泰久さんの著書『監督』をきっかけに、スポーツに関する執筆をはじめたそうです。そんな柳澤さんに、前回に引き続いて、日頃の読書の生活についてお話を伺いました。

------柳澤さんの執筆活動に影響を与えた本は何かありますか?
「なんといっても橋本治さんの『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』という作品ですね。この本は、ひとことで言えば少女まんが評論です。倉多江美、萩尾望都、山岸凉子、おおやちき、大島弓子。あと、なぜか江口寿史や吾妻ひでおが入っていたりします(笑)。70年代半ばから後半にかけて、少女まんがが最高に自由で先鋭的だった頃に、橋本治さんがその魅力に気づき、作者の感情にまで分け入って、信じられないほど精緻で正確に分析して見せた。橋本治という人に、僕は決定的な影響を受けています」

------どういったきっかけでこの本を読むようになったのでしょうか。
「もともとこの本は『ぱふ』というまんが専門誌の連載をまとめたものです。僕はひとりっ子で、少女まんがに触れる機会はなかったわけですけど、高校の修学旅行で、お姉ちゃんのいる友達が『別冊マーガレット』を見せてくれた。河あきら『いらかの波』くらもちふさこ『おしゃべり階段』の頃です。それが意外と面白くて別マを読み始めた。女の子の気持ちが全然わからなかった僕は、少女マンガを読んで初めて、『なるほど、女の子はこういう風にものを考えるのか』と思ったんです」

------少女まんがというのは少し意外でしたが、橋本治さんからはどのような影響を受けたんですか。
「ぱふの編集部で会った橋本さんとはすぐに仲良くなって、たぶん誰よりもご飯をおごってもらっているはずです。僕が文春を辞めて『1976年のアントニオ猪木』が思うように書けないときも励ましてくれました。『1993年の女子プロレス』の文庫版の解説を引き受けてもらった時には感無量でしたね。僕にとっては橋本治に自著の解説を書いてもらうということは、とんでもなくすごいことなんです。橋本さんはひとことでいえば小説家ですけど、評論の切れ味がものすごい。橋本さんの専門は歌舞伎で、『大江戸歌舞伎はこんなもの』なんて本も書いてますけど、古事記の翻訳から、源氏物語、平家物語、枕草子といった古典から義太夫、浄瑠璃、チャンバラ時代劇、少女まんがに至るまで、日本文化のすべてを書き尽くそうとするパワーというかエネルギーというか。あれはもう怪物です。人間じゃない(笑)」

------影響を受けた張本人である橋本治さんが先生になったという話は、かなりすごいお話ですね。
「いまから考えれば、ものすごくラッキーだったと思います。橋本治さんには岸田秀さんの『ものぐさ精神分析』も教えてもらいました。1977年くらいに出てすぐにベストセラーになりましたが、ひとことで言えば『すべては幻である』といった内容。『男も女も国家も時間も空間もすべて人間が作り出した幻想である』といった感じの本ですね」

------人間の根本的な部分というか、とても深そうなお話ですね。
「はい。なぜ人間には幻想が必要なのか----クジラからミジンコに至るまで、すべての生き物も植物も本能があり、本能によって完璧な世界につながっている。ところが人間は本能が壊れてしまった、と岸田先生は言うわけです。馬だろうがだろうが牛だろうが、生まれてすぐ動き出せる。ところが人間は未熟児の状態で生まれてきてしまったから、誰かに世話をしてもらわないと生きていけない。その段階で本能は壊れてしまった、そのままでは生きていけないので本能の代理として幻想にすがるようになった。と、岸田先生は主張しています。時間と空間の起源から、現在の日本の在り方についてすべてを一本でつないでしまう壮大な岸田唯幻論は、めちゃめちゃおもしろいですよ。ちなみに、僕は岸田先生と、昨年12月に『日本史を精神分析する』(亜紀書房)という本を作ったので、そちらもおすすめです」

------柳澤健さん、ありがとうございました!

<プロフィール>
柳澤健 やなぎさわたけし/1960年、東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、メーカー勤務を経て、文藝春秋に入社。
編集者として「Number」などに在籍し、2003年にフリーライターとなる。2007年に処女作『1976年のアントニオ猪木』を発表。著書に『1985年のクラッシュ・ギャルズ』『1993年の女子プロレス』『日本レスリングの物語』『1964年のジャイアント馬場』『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』がある。2017年1月には、プロレス関連本『1984年のUWF』を上梓した。