全国各地に残る、明治〜昭和期にかけて活躍した文豪たちの足跡。文豪たちが愛した食べ物や常宿、好んだ場所......それらのなかには、現在もなおその場所に息づき、追体験することのできる味や景色があります。


 書籍『文豪聖地さんぽ』では、太宰治、芥川龍之介、谷崎潤一郎、森鷗外、中島敦、泉鏡花、江戸川乱歩、樋口一葉をはじめとする文豪たちの足跡を辿りながら、現在でも当時の面影を感じることのできる聖地を巡ります。


 たとえば、日本を代表する美味名店が集まる"銀座"での食は、文豪たちの舌をも魅了。1869年、日本初のパン屋"文英堂"として創業した"銀座木村家"が1874年に完成させた、酒種を使った生地であんを包んで焼き上げる"あんぱん"は森鷗外のお気に入りだったそう。日本人の嗜好に合わせたその味は評判となり、明治天皇にも献上されたのだといいます。


 この銀座木村家から歩くこと10分、"竹葉亭 本店"は夏目漱石や永井荷風、斎藤茂吉らにも愛され、その小説のなかにも登場した鰻の老舗。


「時に伯父さんどうです。久し振りで東京の鰻でも食っちゃあ。竹葉でも奢りましょう」(夏目漱石『吾輩はである』)


「話にその小使の事も交って、何であろうと三人が風説とりどりの中へ、へい、お侍遠様、と来たのが竹葉」(泉鏡花『婦系図』)


 このように当時から、東京を代表する人気の名店だったことが伝わってきます。


 さらにここから5分ほど歩けば、"カフェーパウリスタ 銀座店"が。1911年に創業したパウリスタは、大正時代、文化人のサロンとして親しまれ、芥川龍之介や久米正雄、久保田万太郎らも訪れたというコーヒーの名店。なんとこのパウリスタ、"銀ブラ"という言葉の発祥ともいわれているのだそうです。


「"銀ブラ"という言葉の発祥には諸説あるが、そのひとつに『銀座のパウリスタにブラジルコーヒーを飲みに行くこと』というものがある。銀座の『銀』とブラジルコーヒーの『ブラ』をくっつけたもので、大正初め、当時慶應大学の学生だった久保田万太郎、佐藤春夫、堀内大學、小島政二郎らが作ったとされる。彼らの生活にとって、パウリスタでのコーヒータイムは欠かせないものだった」(本書より)


 そして徒歩1分の距離にあるのは、"資生堂パーラー 銀座本店"。1928年の開業以来、銀座で愛され続けているレストラン・資生堂パーラーは、谷崎潤一郎や永井荷風らのお気に入り。


 最後に、ここから徒歩5分のところにある"銀座・ルパン"は、里見弴、泉鏡花、菊池寛、久米正雄ら文人の協力を得て1928年に開店した老舗バー。永井荷風、直木三十五、川端康成、大佛次郎、林芙美子ら錚々たる顔ぶれが常連客として通い、戦後は太宰治、坂口安吾、織田作之助も来店していたのだといいます。


 文豪たちの足跡を辿りながらの街歩き。さまざまな発見が待ち受けているかもしれません。