NHK大河ドラマ「真田丸」。主役の堺雅人さんへの注目はもちろんのこと、かつて真田信繁(幸村)を演じた草刈正雄さんがその父・昌幸役で出演し、信繁の兄・信幸には大泉洋さんが配役されるなど、さまざまな見どころが話題を呼んでいます。



 本作の脚本を手掛ける三谷幸喜さんは、放送開始に先駆けた各メディアのインタビューで「史実にこだわりたい」といった意味合いの発言を繰り返していました。たとえば、「真田十勇士」のストーリーを排除する、堺雅人さん演ずる主人公の名前は一般的に知られる「幸村」ではなく文献に残る「信繁」とする、というところでそれを示しているようです。



 たしかに、真田十勇士はフィクションだといわれていますし、「幸村」の名前も同じく十勇士のストーリーで周知されたもの。では、「真田幸村」という名前を信繁本人は名乗らなかったのでしょうか?



 これに異を唱えるのが、作家の井沢元彦さん。2月に発売された文庫本『逆説の日本史 別巻5 英雄と歴史の道』では、次の説が展開されています。



「ヒントになるのは、他ならぬ彼の兄である真田信之が、当初の名『信幸』から『信之』に改名しているという、歴史的事実があることだ。(中略)『幸』という字は、織田家における『信』や徳川家における『家』のように、家督を継いだ長男に与えられるケースが多い『通字(とおりじ)』というものだからである」



 そして「信幸」は、関が原の戦いで西軍に付いた父・昌幸や弟・信繁と袂を分かち、徳川家康の家臣となります。つまり、家督を継ぐ立場とともに「幸」の文字を捨て、「信之」と改名したわけです。



 井沢さんは同書で、次のように続けます。



「つまり、この時点で兄が捨てた『幸』を拾って弟は『幸村』に改名したということは、大いに考えられるのである。証拠はない。というのは、今なら『記者会見』でもやって発表できることだろうが、当時はマスコミもインターネットもない」



「ただし、そのことは関係者には伝わり、だからこそ江戸時代に大名として生き残った真田家でも、彼のことを『幸村』と呼んだのではないか、という推理は一応成り立つのである」



 現代における改名は、スポーツ選手の登録名などごく限られたケースでしか行われません。しかし、かつては「幼名」や元服後の「諱(いみな)」など、ひとりの人物でもさまざまな名を持っている場合がありました。真田信繁/幸村のケースは、人名にも歴史を読み解くカギがあることを示しているといえるのではないでしょうか。