ところが、水木さんに2年間にわたり密着したノンフィクションライター・足立倫行(のりゆき)さんは、評伝『妖怪と歩くドキュメント・水木しげる』で、この逸話を検証、真偽に疑問を投げかけています。



 実は、水木さんは戦後、雑誌の特集企画で、ラバウルの野戦病院で診察してくれた陸軍軍医で、国立加古川病院の元院長・砂原勝己さんと再会を果たしますが、砂原さんはこのエピソードについて「うーん、それねェ、どうも私は言った記憶がないんだよ」(同書より)と否定。



 その場にいた足立さんが再度、「本当に現地除隊を思い止まらせた記憶はないんですか?」と尋ねると、砂原さんは以下のように答えたと言います。



「私は彼に何を言ったのか覚えていないんだけど、彼が現地除隊を諦めたのは、おそらく別の理由があったと思うんですよ。つまり、日本が敗けた、ニューギニアはいずれ戦勝国になる、そこで原住民の中に旧日本兵がいたらどうなるか? ね、タダじゃすまないですよ。僕もトペトロと親しかったから、多少彼らの村の情報は得ていたんだけど、そういう判断がね、水木くんの頭にあったかもしれない。もちろん、結果的にはそれでよかったんですがね」(同書より)



 おそらくは「あのときに軍医が止めさえしなければ、現地除隊してラバウルで暮らしていたのになあ...」という後悔と、南方への憧憬が生み出したこのエピソードは、水木さんにとっては、紛うことなき"真実"だったのかもしれません。



 足立さんが水木さんから「しつこい」と言われるほど食い下がり、"漫画の神様"手塚治虫さんとの因縁めいた逸話をはじめ、知られざる素顔に迫った同書は、水木ファンならずとも必読の内容となっています。