その日本人アーティストのひとりが、建築家・丹下健三。丹下にとって、タウトが発見した桂離宮の数寄屋と寝殿造りを融合させた美学は、生涯に渡る大きな主題となり、実際の作品として、東京五輪のシンボル・国立屋内総合競技場を生み出すことに。吊り構造という技術を用いて造形した、古刹の大伽藍を想起させる吊屋根の緩やかな曲線は、「日本的なるもの」の表象として大きな反響を呼んだのだといいます。



「東京の都心に忽然として、東大寺を思わせる仏閣の大伽藍に似た巨大な屋根が、伸びやかな曲線を描きながらたちあらわれ、人々の目を惹きつけた。『日本的』と形容していいこのダイナミックな空間の演出は、アジアで初の五輪を東京で開催するプロジェクトの意味とその祝祭性を意識したものとして、それまで丹下が依ってきたモダムズム建築を自ら問い直す意図が込められた作品、と解されたのである」(本書より)



 2020年の東京五輪を控え、「日本的なるもの」が否応にも注目されるなか、日本的なるものと向き合い、作品を生み出してきた先人たちの苦悩の歴史を知っておく必要は、少なからずあるのかもしれません。