相続争い、家庭内暴力などの大きなものから、些細な内輪もめまで、家族間のトラブルは昔も今も後を絶ちません。元NHK人気アナウンサーでエッセイストの下重暁子さんが今年3月に上梓した『家族という病』では、そうした家族間でのトラブルの根源に切り込んでいます。



「家族だから」で美化されることの多い道徳的な観念や、「家族団欒」を美徳とする私たち。実は、「ほんとうはみな家族のことを知らない」と下重さんはいいます。



「親しい友人・知人とは、わかり合おうと努力するせいか、よく話をし、お互いのことについても知っている場合が多い。(中略)それに対して同じ家族で長年一緒に暮らしていたからといって、いったい家族の何がわかるのだろうか。日々の暮らしで精一杯であり、相手の心の中まで踏み込んでいなかった。いや踏み込んではいけないとどこかで思い、『ああ、こうか』と思いながら見守っていることが多いのだ」(本書より)



 家族とわかり合おうとしてぶつかることは、誰もが経験しますが、その後、身近すぎる家族との表面的なトラブルを避けるように、彼らと取り繕った関わり方をするようになる人が多いのです。



 わかり合おうと努力することを怠ってきた結果、深刻なトラブルに発展すること、そして、それが実際に自分や自分の家族に起こりうることを下重さんは本書で指摘しています。



「家族を固定観念でとらえる必要はない。家とはこういうものという決まりもない。そこに生きる、自分達が快く生きられる方法を作り上げていくしかない」(本書より)



 その固定観念は、家族だからわかり合っているという甘えや、家族に対する期待や妄信を生みます。それに抗うには、家族の多様性を認め、家族とは価値観の違う個の集合体である"社会の縮図"と捉えること、共に歩み寄る努力をすることが必要なのです。そうすれば、家族と共により生きやすく、よりわかり合える関係を作れるでしょう。