1988年10月1日に開局した、FMラジオ局J-WAVE。いまや誰しも耳にしたことのあるJ-POPという言葉は、このJ-WAVEが、自局で流す日本のポピュラー音楽をどのように呼ぶのか、レコード会社とのあいだで繰り広げた議論のなかから生まれたといいます。



 誕生した当時は、「都会的な音楽」「洗練された音楽」「おしゃれな音楽」といったイメージが付与されていたJ-POP。しかし、それから四半世紀あまりを経た現在では、J-POPとはどのような音楽を指すのか、世代によっても、思い浮かべる像は異なってきているようです。



 現在、複数の大学で講義を受け持つ宮入恭平さんは、実際に現役の大学生たちに、J-POPからイメージするものについてのアンケートを実施。その結果、大学生たちはJ-POPにたいして、「アイドルやアニソンといった、若者を中心に流行している、恋愛などをテーマにした、商業的で明るい日本の歌」といった、誕生当時とは異なるイメージをもっていることがわかったそうです。



 いったいJ-POPとは何なのか、宮入さんによる本書『J-POP文化論』では、J-POPはいかなる社会背景に影響を受けてきたのかという、音楽を取り巻く環境に、社会科学的なアプローチを用いながら焦点を当て、漠然としがちなJ-POP像に迫っていきます。



 冒頭で述べたように、レコード会社とFMラジオ局がマーケティング戦略として仕掛けた、J-POPというジャンルの誕生。しかし、まだそのジャンルに、どのような音楽が実際に含まれるのか決まっていなかったとき、打ってつけの音楽として「渋谷系」の存在があったのではないか、つまり「渋谷系」は実体をともなうことのなかったJ-POPという音楽ジャンルを具現化したのではないかと、宮入さんは指摘します。



 もちろん、渋谷系がJ-POPという音楽ジャンルを象徴しているわけでも、まして渋谷系だけでJ-POPが形成されているわけでもありません。しかしそれでも、J-POPを具現化させる音楽になり得た理由として、渋谷系が「J-POPに求められたJ-POP像に近かったこと」を挙げます。



「一九八八年に実体のないジャンルとして誕生したJ-POPは、九〇年代に『渋谷系』という音楽によって名実ともにJ-POPという音楽ジャンルになった。『渋谷系』はまさに、J-POP誕生の秘話で語られている『洋楽と肩を並べることができる、センスのいい邦楽』や『洋楽の何に影響を受けたかはっきりわかる邦楽』という、J-POP像に相応しい音楽だったのだ」(本書より)



 四半世紀あまりのなかで、J-POPはいかなる変遷を辿り、人びとにどのように受け止められ、浸透していったのか。膨大な資料の数々を横断しながら、現在進行形のJ-POP像まで射程にとらえた分析が繰り広げられていきます。