吾輩はである。名前はまだ無い――かの有名な文章からはじまる夏目漱石『吾輩は猫である』。この小説の第二節、吾輩の主人である苦沙弥先生のもとに年賀葉書が次々と届く場面には、次のような描写があります。



「吾輩が主人の膝の上で眼をねむりながらかく考えていると、やがて下女が第二の絵端書を持って来た。見ると活版で舶来の猫が四五疋ずらりと行列してペンを握ったり書物を開いたり勉強をしている、その内の一疋は席を離れて机の角で西洋の猫じゃ猫じゃを躍っている。その上に日本の墨で『吾輩は猫である』と黒々とかいて、右の側に書を読むや躍るや猫の春一日という俳句さえ認められてある」



 絵葉書蒐集家である林丈二さんは、この一節において描写された絵葉書に注目し、これはルイス・ウェインという画家の描いた絵葉書であったのでないか、そして漱石はその絵葉書を実際に持っていたのではないかと推測。



 イギリス人に愛された猫絵描きルイス・ウェインは、丁度漱石がロンドンへ留学していた1900年から1902年いかけて人気絶頂で、当時、彼の描いた人間的でユーモラスな猫たちは、本や雑誌、絵葉書に溢れかえっていたそうです。



 こうしたエピソードの紹介からはじまる、南條竹則さんによる書籍『吾輩は猫画家である ルイス・ウェイン伝』では、漱石にも少なからず影響を与えたであろうルイス・ウェインの半生を、彼の描いたたくさんの猫たち――レストランで食事をしたり、お茶会をしたり、競馬場へ行ったり、海へ行ったり、クリスマスや誕生日を祝ったり、テニス、球転がし、クリケット、フットボールを楽しんでいる猫たち――のイラストと共に解説していきます。



 イギリスにおける猫の地位を向上させたとまでいわれるルイス・ウェインですが、その人気の背景には、大きく二つの好機があったと南條さんはいいます。



 ひとつめは、彼のデビューが、イギリスにおける雑誌の黄金時代と重なったこと。ウェインが活躍をはじめた1890年代は、雑誌の創刊が相次ぎ、新聞・雑誌・定期刊行物は300種類を超え、絵師であるウェインは、この時代の有名雑誌に活躍の場を見出すことができたのだそうです。



 ふたつめは、1902年に葉書の宛名書きの面に文章を書くことを郵政省が許可したこと。それにより葉書の一面をすべて絵にすることが可能となり、絵葉書の大ブームが発生。さまざまな絵葉書が膨大に発行され、蒐集する習慣もはじまり、1904年から1910年にかけて売り上げは頂点に達したといいます。こうした好機のなかで多くの絵葉書を描いたウェインは、その人気を獲得していったのだそうです。



『吾輩は猫である』にも登場した、イギリスの猫画家ルイス・ウェインとは、どのような人物であったのでしょうか。多くの猫たちを描いたイラストの数々には、漱石ならずとも魅了されるはずです。