一世を風靡したデビュー作『なんとなく、クリスタル』、2作目の『ブリリアントな午後』に続く3冊目の単行本として1984年に刊行された、田中康夫さんによる『たまらなく、アーベイン』。



『なんとなく、クリスタル』顔負けのアーバンさ、否、アーベインさ溢れるエッセイと共に、東京でのバブリーな都市生活における、さまざまなシーンに最適なAOR(Adult Oriented Rock)の曲の数々が紹介されていく同書は、長らく手に入りにくい状態でしたが、この度30年余りの時を経て再刊されました。



 朝、昼、夕方、夜、それぞれの時間帯に応じた、ドラマチックなシチュエーションの数々。デートにドライヴ、ベッド・ルームでのひととき。その傍らで流したいAORの名曲たち。



 本書は、AORの指南書としての役割を果たすと同時に、紅茶についての話や、午後のドライヴ・コースの紹介、恋愛についての話、香水に洋服に車、レストランといった、ライフ・スタイル全般へと言及がなされていくことにより、レコード・ガイドという位置づけを遥かに超えた、東京という都会での生活者に贈るスタイル・カタログとして読むこともできるのです。



 薄曇りの午後3時。紅茶を飲みながら、T・S・エリオットを部屋でひとり読んでいるときにオススメなのは、ラニ・ホールの5枚目のソロアルバム「Blush」。通っているカルチャー・スクールの英語の先生と不倫に走る、よろめき主婦の午後には、ロッキー・ロビンスの「You And Me」。さらにメイキング・ラヴ5分後辺りにオススメなのは、グレッグ・ギドゥリーの「Over The Line」。



「ロビー・デュプリーに曲を書いたりしている彼が、82年に出したアルバムOver The Lineは、昼下がりのベッド・ルーム用。少しだけ開けた窓から入る微風に揺れるレースのカーテンを見ながら、彼女に肘枕をしてあげていると、『あーあ、また、こうなってしまった』と思っている感傷少年の今の気持を、まさしく歌ってる風のメロディーが、お部屋に充満しちゃいます。(中略)ところで、なぜ五分後からグレッグ・ギドゥリーなのか、わかります? だって、やっぱり、五分間くらいは、彼女に優しくしてあげないと、まずいでしょ、そう思いません?」(本書より)



 その独特な文体と、繰り広げられる80年代の強烈なアーベインな世界観。100枚のAORの名盤を紹介すると同時に、巻末には800枚に渡る参考アルバム・リストも収録。本格的なAOR選曲本としてはもちろん、田中康夫さんの描き出す世界観に酔いしれたい方、必読です。