まだ記憶に新しい、AKB48のヒット曲「恋するフォーチュンクッキー」。2013年度の第2回アイドル楽曲大賞・メジャーアイドル楽曲部門で見事1位を獲得した同曲は、結婚式、企業のPR、自治体による町おこし......と、あらゆる場面で使われ、楽曲に合わせてAKBの振り付け通りに踊る動画はネット上で拡散されていきました。



 この「恋チュン」ブームに代表される、大衆音楽と踊りとの結びつき。



 輪島裕介さんの『踊る昭和歌謡』では、昭和期の大衆音楽を「踊り」という文脈からとらえることで、マンボ、ドドンパ、ツイスト、GSに至る一連の系譜を浮上させ、さらにはディスコとアイドル歌謡、ユーロビートなど、様々なリズムを持つ外来音楽がどのように日本で受容されていったのか次々と解明していきます。



 たとえばマンボ。日本においてマンボは、北米やヨーロッパでの受容の文脈が引き継がれる形----ラテンのイメージを体現するダンス音楽として受け入れられたのだと輪島さんはいいます。



 ダンスホールを主な舞台に、1955年から翌年にかけて日本で巻き起こったマンボ・ブームは、ドドンパ、ツイストといったような、特定の踊り方と結びついた音楽スタイルを牽引していく存在として重要なのだそうです。



 同時にこのマンボ・ブームは、若者の不良化・不健全な若者像と結びつけられバッシングの対象ともなったという、若者風俗にまつわる言論のあり方においても注目すべき出来事であり、その系譜は現代にも引き継がれているのだと輪島さんは指摘します。



「『踊る不良』という定型は、その後もロカビリー、ツイスト、竹の子族(暴走族、ツッパリ)をめぐる社会的イメージに引き継がれ、氣志團(DJ OZMA)、EXILE、あるいはYOSAKOIソーランへと(無害化・学校化されながら)命脈をつないでいく」(同書より)



 大衆音楽と踊りとの関係は、「ネットという複方向的かつ感覚統合的なメディアの普及も手伝って、再び距離を縮めつつある」(同書より)と、輪島さんはいいます。今後の大衆音楽を考えていくうえでも、あるいはこれまでの大衆音楽の研究に新たな文脈からの光を投げかける意味においても、注目していくべき一冊となっています。