先日、三井物産などが「大手町1丁目2地区計画」を発表し、東京・大手町の本社ビルを再開発し、超高層ビルを建設する計画が明らかになりました。そして、その計画では、同ビルの敷地内にある、朝廷に反逆し討伐された武将・平将門(たいらのまさかど)の首を祀った「将門の首塚」は含まれず、現状維持されることも注目されています。



 この首塚はタタリを起こすと恐れられており、戦後になってからは「GHQ(連合国軍総司令部)が首塚を撤去しようとしたが、ブルドーザーが横転した」「首塚にお尻を向けて座るとバチが当たる」等の都市伝説も生まれました。



 それでは、そもそも数々の伝説を生んだ平将門とはどのような人物なのでしょうか?



 939年、常陸国(現代の茨城県)の豪族、将門は一族内の内紛に乗じ、坂東8カ国を手に入れます。関東一帯に独立政権を樹立した将門は、ついに「新皇(しんのう)」と称するまで勢力を拡大したのでした。



 この東国武士集団の反乱に震え上がった朝廷側では討伐軍を繰り出し、苦戦の末に、制圧に成功。討ち取られた将門の首は京に運ばれて晒し首に。その首は、毎晩のように目を見開き「頭ついで今一軍(ひといくさ)せん!」つまり、胴体と首をつないでもう一戦しよう! と叫んだのだとか。そしてある日、胴体を求めた首は関東へ向かって飛び去り、途中で力尽きて落ちたのが、現在首塚がある場所だと伝えられています。



 朝廷への反逆者であり、災いをなす怨霊のイメージが強い将門ですが、やがて神田明神に合祀され、庶民の人気を獲得していきました。とくに、将門の故郷である茨城県では、中央政府の圧政に立ち向かった悲劇のヒーローとして、今なお人気があります。茨城県坂東市では、「将門煎」というお菓子まで販売されているほど。



 本書『新訂版 全国 五つ星の手みやげ』では、将門煎餅のほかにも、桔梗屋「桔梗信玄餅」(山梨県笛吹市)、如水庵の「筑紫もち」(福岡県福岡市)など、日本全国の名菓をご紹介。生まれ育った場所の名物や、住んでいる場所の名菓を探せるほか、お取り寄せガイドとして手元において楽しめる1冊となっています。本書を眺めつつ、ときには、名菓のネーミングの由来になった戦国武将にも、思いを馳せてみてはいかがでしょうか。



【関連リンク】

将門煎餅本舗

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