小林康夫さんと大澤真幸さんという、現代の日本の知を牽引するふたりによる、対談集『「知の技法」入門』。同書は、本という存在を問い直すところから始まります。

 

 まずふたりは、本という存在を考えるうえで、本の重さという点に注目します。小林さんは次のようにいいます。



「本は言葉が重みをもって、そこに凝集して存在している状態なんじゃないか。(中略)『情報』がもし重さをもたない言葉だとすると、本はそれとは違って重さがある、と実感として思いますね。(中略)重さがあるということは、すぐには消化できないということ。重さを手にした人間は、重さと付き合うことを要求される」



 ネット上にあふれる言葉と、本に書かれる言葉とを対比します。一方、大澤さんも、本を読むことは情報を得ることが目的なのではなく、本を読むこと自体が重要なのであり、その体験は、考えるべきことを知るということにも繋がるのだといいます。



「人は、何もなしで考え始めたりはしない、でも、何か衝撃的な出会いがあると、人は考え始める。(中略)その考えるということは、ある意味で苦しいのですが、その苦しみをも含んで、究極的には、大いなる歓びです。そういう思考へと人を誘い、強制さえする衝撃的な出会いの、最も重要な源泉は、本なのですよ」



 そしてネットの隆盛によって人文科学的なものがすべての人に共有されている現状においては、あえてもう一度、人文科学へ、人間を問うことへ意識を向ける必要性があるのだと小林さんは指摘します。



「みんなが自分の意見をツイートして、自分の『文化』を発信して、それどころか自分の『哲学』をネット発信できる。どこに本当の創造的なフロントがあるのか、ますます見えにくくなっているように思いますね。でも、それだからこそ、今、人文科学を志す人のモラル、それが問われていると思います。(中略)もう一度、この時代にあって、人間を問うことはどういうことか、ということを再定義しないといけないと思いますね」(同書より)



 そこで同書では、いま読むべき本とは一体何か、具体的なリストと共に、その理由が語られていきます。本を読み、私たちは何を知り、学び、考えるべきなのでしょうか。同書を知へと誘ってくれる道しるべとし、実際に数々の本を手にとり、言葉の重さと対峙してみる必要があるのかもしれません。