貨幣、株式会社、消費社会。ご存知のように、私たちを取り巻いている世界は、資本主義生産様式から成り立っています。しかしこうした経済システムに、ふと疑問を感じることはないでしょうか。



 本書『路地裏の資本主義』において著者の平川克美さんは、資本主義に対して生じてくる数々の疑問を、自らの生活を通して見えてくる視点から解明していきます。



 平川さんは、資本主義が満盈することによって失われゆくものにも目を向けます。そしてその一つの例として、喫茶店の存在を挙げます。現在、自身でも喫茶店を営む平川さんは、喫茶店が自分にどのような恩恵を与えてくれたか、学生時代を振り返って次のように言います。



「学生時代のわたしは、渋谷、新宿の裏町を毎日のように彷徨っていました。一九七〇年代の中頃には、そんな学生が何人もいました。歩き疲れたときは必ず喫茶店に立ち寄り、あまりおいしいとは言えないコーヒーを飲みながら、タバコを吸い、本を読み、友人と待ち合わせて議論をしたりしたものでした」(本書より)



 椅子に座って無為の時間を過ごすことのできた、非効率とも言える喫茶店の存在。しかし、町のいたるところにあった、そうした喫茶店は、1980年代の終わり頃から次第に姿を消し始めたのだと言います。



 そして喫茶店に代わり街角に現れるようになったのが、チェーン店の数々。1980年にドトール一号店が原宿駅前に、1996年にスターバックスが銀座に進出しはじめる頃には、日本人のライフスタイルも変化し、そのことが喫茶店減少に拍車をかけたのだと指摘します。



「喫茶店での無為の時間とは、本を読んだり、書き物をしたり、議論を戦わせたりする時間であり、文化が育まれる場所でもありました。こういう文化自体が廃れ、人々は駅前で朝のコーヒーを飲んで仕事へ向かい、バリバリと稼ぎを増やすことに熱中し始めました」(本書より)



 こうした社会状況のなか、平川さんは本当に自分にとって大切なものは何かと考えた結果、それはお金ではなく時間なのであり、喫茶店は、その時間を象徴するかのような存在であるのだと言います。



「この時代、というのは効率化が最優先する時代において、もっとも貴重なものとは何か。わたしなら、それは『時間』であると言いたい気がします。わたしたちの喫茶店には、コーヒーの他には何もないけれど、『時間』だけはたっぷりとあるのです」(本書より)



 路地裏に息づく生活や、失われつつある街の風景に目を向けることで見えてくるもの。資本主義からなる現在の社会において、本当に自分に必要なものとは何なのか、改めて問わずにはいられなくなる一冊となっています。