ついに安倍内閣が、集団的自衛権の行使を認めるため、憲法解釈を変更する閣議決定をしました。



 集団的自衛権とは、自国と密接な関係にある他国(同盟国)が武力攻撃された場合、自国が直接攻撃されていなくても、これを守るために武力行使をしてもよいとするもの。国連憲章では、すべての国が個別的自衛権と集団的自衛権を持っていると定められており、国際法上、日本もこれらの自衛権を保有しています。



 しかし、これまで日本では「憲法第9条の下において許されている自衛権の行使は自国を防衛するため、必要最小限にとどめるべきもので、他国を武力で援助する集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものだから憲法上許されない」とされてきました。



 集団的自衛権の行使が容認されれば、他国の戦争に巻き込まれたり、自国が攻撃対象になる可能性があります。武力行使の要件に明確な歯止めが設けられなかったことも不安材料です。



 また、日本の安全保障のあり方を一変させる問題にもかかわらず、安倍内閣は国会での議論を経ない閣議決定という一方的なやり方で憲法解釈の変更を決定しました。強引なやり方に加え、結論ありきで議論が尽くされないまま、強行した内閣に批判が集まっています。



 官邸前では大規模な反対デモが起こり、各報道機関の世論調査でも多くの人が集団的自衛権の行使に反対しています。これほど世論の反対を押し切ってまで、推し進める集団的自衛権とはなんなのでしょうか? また集団的自衛権の行使が可能になれば、どのような事態が想定されるのでしょう?



 そんな疑問に具体例を挙げて答えてくれるのが、今回ご紹介する『集団的自衛権の深層』です。



 本書では、冷戦期に諸外国(米英ソ仏)が集団的自衛権を使った複数の事例を挙げ、集団的自衛権が大国による軍事介入(旧ソ連によるアフガン侵攻や米国によるベトナム侵略など)の口実として、いいように使われてきた歴史を明示します。そして冷戦後は紛争に関して国連安保理が関与するという基本的な流れについて説明し、歴史から集団的自衛権を理解できるようになっています。



 本書のユニークなところは、集団的自衛権の行使を批判・否定して終わらせるのではなく、日本の国際貢献という視点で対案を出しているところでしょう。その一つとして、著者は紛争国に派遣される国連の停戦監視団(非武装)に、よりコミットをしていくことを挙げています。停戦監視団は、一般的に国連などの国際機関や紛争当事者以外の第三国の人達で構成される場合が多いのですが、日本は憲法9条のおかげで「平和国家」のイメージが世界に定着しており、紛争当事者からも信頼されるので"適任"と提案しています。



 これからの日本は国際社会の中で、どう振る舞っていくべきなのでしょうか。世界の中の日本の立場と役割とはなんなのでしょうか。今、国民一人ひとりが日本の安全保障や日本にしかできない国際貢献の在り方を考える時が来ているのかもしれません。