アンチ村上春樹の急先鋒、評論家・小谷野敦さんの新著『病む女はなぜ村上春樹を読むか』。挑戦的なタイトルからみなぎる村上春樹に対する小谷野さんの熱い思い。表紙を見るだけで震える思いがします。



 本書の執筆動機について、小谷野さんは次のように述べます。



「私は村上春樹については、その批判文を書いてから、積極的に読むこともしなかったし、あまり考えたくはなかった。だがそれ以後も人気は上るばかりで、もういっぺん、改めて考え直してみようと思った。といっても、プラス評価に変わるわけではない」



 考え直してやるが、プラス評価はしない。「オレ、お前のこと嫌いなんだからな!」、と念を押して執筆されるその姿勢に好感が持てます。



 とはいえ、本書は「ただ嫌いだから」と著者の好みを押しつけるものではなく、村上春樹の文学作品を川端康成、大江健三郎を始めとする、様々な過去の日本近代文学史の系譜上に位置づけながら分析を試みる内容となっています。



 その中で、日本近代文学には、概して精神を病んだ女を男の作家が書いたものが多いことに気づいたのだと述べ、村上春樹もその例に漏れないのだと分析。



「日本近代文学には、精神を病んだ女を男の作家が描いたものが多いように思う。(中略)逆に、病んだ男を女の作家が描くという例は、あまり見当たらない」(本書より)



 そこで本書では、村上春樹の作品を読み解いていくキーワードとして、小説作品内に頻繁に登場する、精神を病んだ女に注目していきます。

 

 なぜ精神を病んだ女が頻繁に登場するのでしょうか。その背景として、小谷野さんは、かつて堀辰雄「風立ちぬ」に代表される肺結核という形で描かれた「女が死んでしまう系」の日本の小説の系譜が、春樹における「ノルウェイの森」の登場人物のように、精神の病によって死ぬというトレンドへと転換したことが挙げられるのではないかと指摘します。



 登場人物の病んだ女が精神の病によって死ぬ、というトレンドが受け入れられる社会。またその登場人物たちの起こす過剰な性描写ゆえ、海外版に翻訳される折、意図的に訳されない箇所もあるという春樹作品をごく普通に受け入れ共感したり、ベストセラーになる社会に、小谷野さんは疑問を呈しています。



 本書で指摘される、村上春樹作品に表れる登場人物たちに今一度注目してみることで、文学世界のみならず社会に対する新たな気づきを得られるかもしれません。