近年の研究報告で、人格形成と社会関係の構築に有効とされているのが、学校での「美術教育」です。しかし、日本の教育現場では、公立学校を中心に美術の授業時間が削減されたり、選択制になってしまっています。とある学校では、社会の先生や国語の先生が美術を担当するなど、今や専任の美術教師を常勤で置いている学校の方が少ないとも言われています。



「美術とは、私たちが『見ることで学ぶ』偉大な学問だと思います」と語るのは、日本を代表する現代美術家として、国内外で精力的に活動している宮島達男さんです。東北芸術工科大学、京都造形芸術大学の副学長として、後進の育成に励みつつ、美術教育の可能性を模索しています。宮島さんがホスト役となり、デザイナー、建築家、脳科学者などの多彩なゲストとの対談の中で美術の可能性を探ったのが、書籍『アーティストになれる人、なれない人』です。



「アーティストにならない99%の人にこそ、美術教育の意味はある」と語る宮島氏。美術に限らず芸術は、2つの「ソウゾウリョク」を鍛えることができると言います。



1つは、人を思いやり、他者の痛みを自分のこととしてイメージできる「想像力」。もう1つは、新しいものを生み出す「創造力」です。この2つの力こそが、芸術家だけでなく、あらゆる職業や社会、人々になくてはならない力であり、それゆえに美術教育はとても大切だと言うのです。



それでは、本書のタイトルにもなっている『アーティストになれる人、なれない人』の違いは、どこにあるのでしょうか。アーティストたちとの対話の中に、共通するものがありました。



「自分がもし本物だったら、出会いは地の果てからでもやってくる」(画家・大竹伸朗)

「ワケのわからない人との出会いは大きい」(現代美術家・やなぎみわ)



アーティストたちが持てる才能を開花させたきっかけには、大学生時代に影響を受けた舞踊家、職場の天才デザイナー、アルバイト先の建築家など、常に"人"がいました。"人"と出会い、自らの世界が刺激や触発をされ、素質や能力が拡張したことで、才能が花開いたと言えるのです。



「『ダイヤやダイヤでしか磨かれない』という有名な言葉があります。アーティストに限らず、万般の世界に通じますが、一番硬い物質であるダイヤモンドを磨くためには、ダイヤモンドでしかおこなえないように、"人"が大成するためには、一流の師や先輩の存在など、"人"との出会いによってしか磨かれないのだなと思いました」(宮島氏)