13日に、94年間の生涯を閉じた漫画家・絵本作家のやなせたかしさん。代表作のアニメ『それいけ!アンパンマン』の絵本シリーズは、全350作で計6800万部。劇場映画も、毎年1本のペースで25作公開されるなど、子供たちを中心に幅広い世代から人気を集めました。



そのやなせさんが、自らの生涯を振り返っているのが、今年3月に刊行された書籍『何のために生まれてきたの?』です。昨年放送されたドキュメント番組「100年インタビュー」(NHKBSプレミアム)を単行本化した本書において、作品誕生の経緯や壮絶な戦争体験や長かった下積み時代を語っています。



「一病息災」という言葉がありますが、やなせさんはインタビュー時にはすでに「十三病」を患った状態。目も耳も悪くなり、がんのために腎臓も片方がなく、すい臓は三分の一を切り取っています。胆のうも無く、腸も45センチ切除し、心臓にはペースメーカー。それでも、引退できなかったのは、東日本大震災で「引退だなんて甘いことは言ってられなくなった」と考えたからだと言います。



アンパンマンの大ヒットまでには、長い助走の年月がありました。漫画家でありながらも漫画の仕事は少なく、自分の居場所を見いだせない日々。製薬会社の宣伝部員、雑誌記者、舞台芸術、デザイナー、脚本家、構成作家などの仕事をこなしながら、漫画を書き続けました。「ぼくらはみんな生きている」のフレーズで知られる童謡「手のひらを太陽に」を手がけたのも、この雌伏の時代の頃。代表作に恵まれず、陽の目を浴びたのは40代後半の時でした。



「僕はもっと若い頃に世に出たかったんです。ただ遅く出てきた人というのは、いきなりダメにはなりません。こんなことをしていていいのかと思っていたことが、みんな勉強になり、役に立っていく。人生にムダなことなんて一つもないんですよ」



「なんのために生まれて なにをして生きるのか」。アンパンマンのテーマソングの歌詞には、その意味を知らないままに生涯を終えることを「残念」と考える、やなせさんの想いが反映されています。やなせさんご自身は、自らが生まれ、生きる理由について、どのように考えていたのでしょうか。



「長い間、僕はずいぶん悩んできたけど、やはり子どもたちのためにお話を書いたり、絵本を描いたりするのが自分の天職だなあと思うようになりました。だから引退もできないんです。自分だけがのんびり寝ているわけにはいかないと思うから。やっぱり、死ぬまで描き続けていくことになるんでしょうね」



その言葉通りに、現役最高齢の漫画家として創作活動を続けたやなせさん。11月に刊行予定の集大成となる一冊『やなせたかし大全』が最後の作品となりそうです。