有安杏果が撮る東京の文化財『五百羅漢寺』の魅力「仏像を撮るのは人物と同じで難しい」 (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

有安杏果が撮る東京の文化財『五百羅漢寺』の魅力「仏像を撮るのは人物と同じで難しい」

ももかアイズ

このエントリーをはてなブックマークに追加
写真・有安杏果、文・平野圭祐週刊朝日
 有安杏果さんと東京都内の寺社仏閣を訪ねる企画「ももかアイズ」。今回の五百羅漢寺は、JR目黒駅から歩いて十数分のところにあり、「目黒のらかんさん」として親しまれている。

 寺院近くの交差点脇に、江戸時代の1695年(元禄8年)にこの寺を開いた松雲元慶(しょううんげんけい)の像がある。お寺に向かって住宅街に入ると、静けさに包まれる。
五百羅漢寺正面(アプリコット提供)

五百羅漢寺正面(アプリコット提供)

 寺の入り口は、白を基調としたモダンな造りだ。1938年から4代続けて尼僧が守り続けていた。寺をマンションにするという話が持ち上がったこともあったが、当時、不動産業を手がけていた故・日高宗敏貫主が費用を工面し、寺を建て直した。さまざまな困難を乗り越え、現在の堂塔は1981年に落慶した。
境内で撮影する有安さん(アプリコット提供、※特別な許可を受けて撮影しています)

境内で撮影する有安さん(アプリコット提供、※特別な許可を受けて撮影しています)

 話は明治時代にさかのぼる。1868年、政府から「神仏判然令」が発布された。これは、インドから中国、朝鮮半島を経て伝来した仏教と、日本固有の神道を併せ持った日本の「神仏習合」の形を壊そうとした政策だった。

 神道を重んじる過激な廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が起き、全国的に寺や文化財の破壊が行われ、多くの仏像が失われた。五百羅漢寺もその影響を受け、没落していたという。一時は檀家がほとんどいなくなり、建物の修繕もままならなかったという。
取材を終えた有安さん(アプリコット提供)

取材を終えた有安さん(アプリコット提供)

 寺を開いた松雲元慶が手がけた羅漢像は、500体以上に上る。神仏判然令の影響で壊されたものや、やむを得ず手放されたものもあり、現在残されたものは305体。大雄殿(本堂)と羅漢堂に分けて安置されている。

 松雲元慶は、もとは京都の仏師で後に得度し僧侶になった。豊前(ぶぜん、大分県)の耶馬渓(やばけい)の羅漢寺を参拝し、五百羅漢の造立を発願(ほつがん)、江戸に向かった。5代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院(けいしょういん)をはじめ、江戸中の人々から寄せられた浄財をもとに完成させた。
羅漢堂

羅漢堂

 階段を上り拝観受付を過ぎると、右手に羅漢堂がある。ここには146体の羅漢像がコの字型にずらりと並ぶ。入ると、時間が止まっているような感じを受ける。凜と張り詰めた空気。羅漢像の一人一人の顔つきを見ながら歩くと、次第に気持ちが落ち着いてくる。柔らかな光を背に堂内にあるいすに腰を下ろし、じっくりと向き合ってみるのもいい。
外光が差し込む羅漢堂

外光が差し込む羅漢堂

「わぁ、すごい。顔つきが一つ一つ違う」

 衣の裾の流れるような曲線、喜怒哀楽の豊かな表情。今にも動き出しそうな羅漢像を前に、有安さんが食い入るようにカメラのシャッターを切る。

「柵やガラスケースがない分、近く感じます」

 仏像好きでいろんな寺をお参りした人でも、その存在感に圧倒されるに違いない。

「語り声が聞こえてきそうな気がしますね」


おすすめの記事おすすめの記事
関連記事関連記事
あわせて読みたい あわせて読みたい