■新宿末廣亭


都内に4軒ある定席寄席のひとつで、唯一の木造建築。創業1946年。楽屋は高座のすぐ隣にある。古今亭菊之丞さんが楽屋での思い出を語る。「出番直前の橘家圓蔵師匠から、お茶を二つ持って来るように言われました。直前なのにお茶? なぜ二つ?と不思議に思ったら、師匠はそれを持って高座に上がりました。客席で女性のお客さんが2人、お弁当を食べていたんです。師匠は『よく一番前で飯が食えるな』と言いながら、お茶を渡しました。楽屋と客席がとても近いからこそのエピソードですね」
(左)寄席には20人ほどの落語家が出演する。前座は、その日に誰がどの噺をしたかをネタ帳に記載して、真打に手渡す。各自それを見て、かぶらないように演目を考える (右)他の寄席では楽屋と太鼓部屋は別々だが、新宿末廣亭では太鼓や三味線などのお囃子も楽屋で演奏される (撮影/写真部・東川哲也)
(左)寄席には20人ほどの落語家が出演する。前座は、その日に誰がどの噺をしたかをネタ帳に記載して、真打に手渡す。各自それを見て、かぶらないように演目を考える (右)他の寄席では楽屋と太鼓部屋は別々だが、新宿末廣亭では太鼓や三味線などのお囃子も楽屋で演奏される (撮影/写真部・東川哲也)

■浅草ロック座
1947年に創業したストリップの殿堂。文豪・永井荷風は連日通い、楽屋で踊り子と談笑する写真も残っている。72年に経営者が変わった。その頃に舞台に乗り、今は衣装製作を担当する「ひさえ姐さん」が説明する。「楽屋ではトリは必ず左側の奥と決まっています。うちは1時間40分のショーを1日5回やり、その間はずっと劇場に詰めっぱなしなので、楽屋でみんな仲良くなります。踊り子に頼まれ、宝石や洋服、化粧品の業者が売りに来ることもあるわね」。楽屋を訪ねると、出番を前にした矢沢ようこさんが入念なストレッチの後で歯磨きをして備えていた

浅草ロック座 (撮影/写真部・小山幸佑)
浅草ロック座 (撮影/写真部・小山幸佑)
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