慶應義塾大学(左)と早稲田大学
慶應義塾大学(左)と早稲田大学

 WBCの熱狂で空前の野球ブーム到来が予感される春。かつてはプロ野球より人気を集めたのが「早慶戦」だ。対照的な個性を持つ両校のライバル関係は、数々のドラマと創造的な応援スタイルを生んだ。歴史の生き証人たちが語る。

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「オオー!」

 チャンスでの安打に球場が沸く。東京六大学野球春季リーグが明治神宮野球場で開幕した。応援団の張り裂けんばかりの声、チアリーダーの溌剌(はつらつ)とした踊り、吹奏楽団の美しい音色、そして猛々しい大太鼓の音。7季ぶりに制限が解除され、応援席も活気を取り戻した。

 同リーグは、春季は4月から5月、秋季は9月から10月の、原則毎週土日に試合が行われ、先に2勝したチームが勝ち点を手にする。リーグの最終週に行われるのが早慶戦だ。リーグ設立前から行われ、同リーグの中でも特に注目度が高い。

 歴史は120年前にさかのぼる。きっかけは、早大野球部が慶大野球部に宛てた一通の“挑戦状”だった。創部3年目の早稲田の申し入れに先輩の慶應が応え、1903(明治36)年11月21日、三田綱町のグラウンドで第1回の早慶戦が行われた。結果は11-9で慶應の勝利。このときの勝利投手が櫻井彌一郎氏(1883~1958)だ。

「一生涯野球を愛した人でした」と孫の井手美代子さん(85)は話す。

「母から聞いた話ですが、家の蔵で壁当てをしてずっと遊んでいたそうです。とにかく野球が好きだったようで。『六尺豊か』と言われていて背も高く、優しいおじいちゃんでしたね。叱られたことはなく、よく冗談を言って笑わせてくれました」

 しかし、こと早慶戦となると違った顔をのぞかせたという。

「母がまだ若い頃、慶早戦で負けた日は機嫌が悪く、家中がピリピリしていたそうです。そのくらい早稲田を強く意識して、なおかつ芯から慶應を愛していました」

■「若き血」と「紺碧の空」

 早慶戦は、06年から、両校の応援があまりにも過熱したことで中断する。しかし、25年、早慶に、明治大、法政大、立教大、東京大を加えた東京六大学野球リーグが発足し、早慶戦も再開された。

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唐澤俊介

唐澤俊介

1994年、群馬県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。朝日新聞盛岡総局、「週刊朝日」を経て、「AERAdot.」編集部に。二児の父。仕事に育児にとせわしく過ごしています。政治、経済、IT(AIなど)、スポーツ、芸能など、雑多に取材しています。写真は妻が作ってくれたゴリラストラップ。

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