小説、エッセイ、対談、グラビア──週刊誌の「柱」としてニュースと共に本誌を支えてきた連載企画たち。百花繚乱の作家が「週刊誌」という舞台で書きつづけた理由、そして、長く読者から愛されてきた連載の数々が育んだものとは? 作家・重松清さんが綴る。第1回『新・平家物語』から『ブラック・アングル』まで。

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 稀代の絵師の話から始めたい。

 ご本人の好む言葉をつかうなら<戯れ絵>の絵師である。<芸術より芸の方が性に合ってる>からこそ、<持ってる芸のすべてを動員して、毎週読者のご機嫌を伺う芸人冥利の勝負舞台>を半世紀近くにわたって続けてきた、ほら、あの……。

 と、ここまで書けば、あなたの脳裏には、もう黒枠のページが浮かんでいるのではないか。そのページの隅には、黒装束にヒゲとサングラスのブラック氏がたたずんでいるのではあるまいか。

 そう、『ブラック・アングル』である。山藤章二さんである。

 101年に及ぶ「週刊朝日」の誌面を彩ってきた多士済々の連載執筆陣の中で、“「週刊朝日」らしさ”を最も色濃く体現しているのは誰か。

 僕なら、迷わず山藤さんの名を挙げる。

 1976(昭和51)年1月2日号から連載が始まった『ブラック・アングル』は、2021(令和3)年12月3日号で最終回を迎えた。

 45年・2260回にわたる連載の締めくくりに山藤さんが描いたのは、自身の旅姿だった。笠に<同行二人>とあるので、お遍路さんに擬しているのだろう。文章には『道標(みちしるべ)』というタイトルがついている。

 ならば、それにあやかろう。今号から3回にわたって、「週刊朝日」の連載や企画を足早にたどる旅に出る。『ブラック・アングル』や『似顔絵塾』といった山藤さんの仕事は、その旅の、なによりの<道標>になってくれるはずなのだ。

 1950年代に「週刊朝日」を百万部雑誌に育てあげた名編集長・扇谷正造は、週刊誌に必要な柱として、以下の三つの要素を挙げている。

【1】大衆性のあるニュース

【2】人間を前面に出すこと

【3】連載やミニコーナーの充実

『ブラック・アングル』は、まさにこの三つを兼ね備えていた。硬軟取り混ぜたニュースの主役たちを、絶妙の似顔絵とともに風刺の俎上に載せ、絵と言葉で切ったり刺したり、からかったり、くすぐったり……しかもそれを毎週、45年も続けてきたのだ。

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