
岩松さん自身、いまだに「赦す」とはどういうことかはわかっていない。
■「赦す」とはどういうことか
「それがわかれば、本当に『年をとった』ということなんじゃないかなと。さっき僕の見た目が『変わらないですね』とおっしゃられましたけど、それはおそらく、赦すことができないままだからです。『岩松さん、仏様のように人を赦せるんですね』とか言われるようになったら、『ああ、僕も年をとったなぁ』と思うのかもしれない(笑)」
とはいえ、かつてはドラマのあらすじを考えたときに、誰かが誰かを赦すなんていうストーリーラインを想像したことはなかった。
「まだ、どういうふうになるかわからないですが、若い頃に敵だったものを認めていってしまう流れが、どういうことで訪れてくるのかとか。赦すという行為は、関心を持つことなのか、それとも関心を捨て去ることなのか、みたいな。そういう問題はあるような気がするんですね。『赦す』という言葉を、別の言葉に置き換えることもできるような気もするし。関心を持ってるうちは敵で、関心を持たなくなっても友達になりたいと思うことが『赦す』につながるのか、とか。今はいろいろ考えている最中です」
では、年を重ねるということではなく、「大人になる」「成熟する」という意味で、憧れた対象はあるのだろうか。
「蜷川さんにしても、別役(実)さんにしても、演劇界の先輩方は、いっぱい知識を持ってらっしゃいましたよね。でも、それは知識がすごいんじゃなくて、いっぱいいろんなことに関心を持ったことがすごいと思うんです。最近、ダルビッシュの発言で、すごく感心した言葉があって、ダルビッシュが誰かに、『どうしてそんなに偉大なピッチャーになれたんでしょうか』みたいなことを流れの中で質問されて、『自分が変化球に興味を持ったことに感謝したい』って言ったんですよ。要するに、自分がどういう球を投げれば変化するかということに興味を持ったからこそいろいろ調べて、それが自分の力になったと。だから、調べるってことは同時にものを考えるってことでもあるなと思って。そういう意味では、いろんなことに関心を持つことを実践している人たちは、みんな偉いし、自分もそうありたいなと思います」

(菊地陽子 構成/長沢明)
※記事の前編はこちら>>「60代後半で30代の感覚に回帰 劇作家の『苦しさ』が『楽しい』に変わった理由」
※週刊朝日 2023年4月28日号より抜粋