加古隆(かこたかし)/ 東京芸大大学院作曲科修了後フランス政府給費留学生として渡仏。1973年パリでフリージャズ・ピアニストとしてデビュー。帰国後はピアノソロ曲からオーケストラ作品、映画音楽、ドキュメント映像の作曲など幅広く手掛ける。(撮影/加藤夏子)
加古隆(かこたかし)/ 東京芸大大学院作曲科修了後フランス政府給費留学生として渡仏。1973年パリでフリージャズ・ピアニストとしてデビュー。帰国後はピアノソロ曲からオーケストラ作品、映画音楽、ドキュメント映像の作曲など幅広く手掛ける。(撮影/加藤夏子)

 NHKのドキュメンタリー番組「映像の世紀」のテーマ曲「パリは燃えているか」などで知られる加古隆さんが、パリでデビューしたのが50年前。今だからわかる、日本人の財産とは?

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 パリ国立高等音楽院の作曲科で学んでいたときのことだ。師事していた世界の現代音楽を牽引する巨匠オリヴィエ・メシアン氏から、あるときこんなことを言われた。

「あなたは日本人です。日本人であるということは、あなたにとって大変な財産なのです」

 当時20代だった加古さんは、メシアン氏の真剣な眼差しに気押されつつも、言葉の真意がいまひとつ掴めずにいた。

「そのときは、遠い異国からやってきた若い学生を勇気づけようとしたのかな、ぐらいの感想しかなかった(苦笑)。何がおっしゃりたかったのかわかるようになったのは、50歳を過ぎる頃だったか……とにかくだいぶ後の話です」

 パリでデビューした頃の加古さんは、自分が日本人であることなど意識していなかった。フリージャズに傾倒し、あらん限りの力とスピードで演奏するようなスタイル。それが、当時の加古さんにとっての音楽だった。

「人生経験を積んで、いろいろな人や仕事に関わっていくうちに、自然と僕の音楽も変化していきました。大好きな夕日を見ながら作曲の時間を過ごしたりするうちに、メシアンの言葉が思い出された。『日本人が本来持っている感性や感覚は、西洋人の持つ感覚とは違うのかもしれない』なんて考えるようになったんです」

 その日本人ならではの感覚は、大きく分けて四つあった。一つは、自然と一体になる喜び。

「僕は温泉が好きなんですが、西洋人にとっての入浴が自分の汚れを洗い流し、さっぱりするものだとしたら、僕が好きな温泉の世界は、水と親しんで水と一体になること。温泉そのものが、体の中に溶け込んでいく感覚になるのが気持ちいいんです。自分たち人間も自然の一部であるような感性は、日本人にはとても親しみ深いけれど、西洋人にとってはそうではないんです」

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