1975年の都知事選挙での石原慎太郎。沢木耕太郎の「シジフォスの四十日」は文春文庫の『馬車は走る』に収録されているが、残念ながら絶版中。読みたいと思う読者は、中古本で読むといい。
1975年の都知事選挙での石原慎太郎。沢木耕太郎の「シジフォスの四十日」は文春文庫の『馬車は走る』に収録されているが、残念ながら絶版中。読みたいと思う読者は、中古本で読むといい。

 サンデー毎日にこのコラムを連載していた時代に、猪瀬直樹と沢木耕太郎について書いている。なぜ、半世紀近く売れ続けるノンフィクションを両人が書けたのか、『深夜特急』と『昭和16年夏の敗戦』を例にとりながら、「沢木耕太郎の『私』 猪瀬直樹の『公』」というタイトルで、考察した。

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 そのコラムは、猪瀬が、東京都の副知事から知事へと政治に出ていったことについてふれて、こんなふうにしめている。

<書き手が当事者になることの是非については、私には異論がある。が、これはまた別の話、別の機会にすることにしよう>

 猪瀬直樹が、先月末に出版した『太陽の男 石原慎太郎伝』はおそらくそれに対する答だ。

 猪瀬は、この本をなぜ作家が政治に出ていくのか、というテーマを主軸にして書いている。もちろん、そうしたテーマ設定をとるのは、自分も政治家への道をとったからだ。本では、このことについて、三島由紀夫と石原の生き方を対比させながら書いている。

 三島は、政界に興味があったとはいえ、本気で選挙に出るつもりなどはなく、そこがいきづまったゆえに、社会と切り結ぶ手段として「楯の会」から、自衛隊体験入隊、そして市ケ谷で自衛隊員の決起をよびかけたうえでの自決という結末になった。

 そして石原は最初に参議院選挙に出馬した際、江藤淳に、なぜ自民党などという体制内に順応して作家たることを放棄するのか、と罵られるが、石原は「おれはおれの態度が一番誠実だと思う」と開き直る。

<多くの作家は狭い市場でしか生きていない>

<作家にとって読者は文芸誌の三万人なのか広い世間の三〇〇〇万人なのか、文壇ばかり向いている作家は三万人のほうばかりを意識する。(中略)作家はそうであってはならない>

<芸術家であるだけなら、しだいに衰亡の一途を辿るほかはない>

 これは地の文で書かれている文章だが、前のふたつは石原の考えとして書かれてあり、三つ目は、三島の考えとして書かれてある。が、これらは猪瀬自身の考え方でもあるのだろう。

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下山進

下山進

1993年コロンビア大学ジャーナリズム・スクール国際報道上級課程修了。文藝春秋で長くノンフィクションの編集者をつとめた。聖心女子大学現代教養学部非常勤講師。2018年より、慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授として「2050年のメディア」をテーマにした調査型の講座を開講、その調査の成果を翌年『2050年のメディア』(文藝春秋、2019年)として上梓した。著書に『アメリカ・ジャーナリズム』(丸善、1995年)、『勝負の分かれ目』(KADOKAWA、2002年)、『アルツハイマー征服』(KADOKAWA、2021年)、『2050年のジャーナリスト』(毎日新聞出版、2021年)。元上智大新聞学科非常勤講師。

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