高橋幸宏さん(撮影:三浦憲治)
高橋幸宏さん(撮影:三浦憲治)

 1月11日、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のドラマーとして知られるミュージシャンの高橋幸宏さんがこの世を去った。享年70。幸宏さんは2020年に脳腫瘍を摘出。長野県の軽井沢で療養していた。

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 幸宏さんは1952年に東京都目黒区で生まれた。12歳でドラムを始め、高校生でプロに。20代で加藤和彦や高中正義らとのサディスティック・ミカ・バンド、細野晴臣や坂本龍一とのYMOといった世界的に評価されたバンドに参加。YMOでは代表作の一つ、「ライディーン」も作曲した。ソロアルバムとしても「NEUROMANTIC ロマン神経症」などの傑作を発表、YMO以降は音楽プロデュースも行い、ファッションデザインも手掛けるなど、マルチに活躍していた。

 YMOにいた幸宏さんにはテクノポップのイメージが強い。しかし生の演奏を聴くと、とても情緒的で温かかった。打楽器奏者でありながらマッチョとは対極のスタイルで、ドカドカと叩かない。その音には知性、品性、洗練の響きがあった。幸宏さんのドラムは、叩いていない“間”からも風景を見させてくれるような演奏だった。好きな音楽を聞くと、バート・バカラックやフランシス・レイなど作曲家の名前をあげた。

「子どもの頃から幸宏はFEN(在日米軍向けラジオ放送。現在はAFNに統合)で毎日アメリカやイギリスの音楽を聴いていました」と20代でザ・フィンガーズのギタリストとして活躍した音楽プロデューサーの兄、高橋信之さんは語る。“ユキヒロ”“ノブサン”と呼び合う仲のよい兄弟だった。

「幸宏は5人きょうだいの末っ子。本当にかわいかった。父親は会社経営者なのに、僕は音楽の道に進みました。だから幸宏までも美大に入りたいと言いだしたとき、お前が幸宏の面倒をみろ、と父に言われたんです」

 子どもの頃は身体が弱かったと思われた幸宏さんが心配で、なにかと面倒をみていた信之さん。そんな幸宏さんだが、やがてドラマーとしてめきめき頭角を現すようになった。ミカ・バンドの名盤「黒船」のプロデューサーはビートルズの「ホワイト・アルバム」にかかわったクリス・トーマスだが、彼との出会いが幸宏さんの一つの転機となった。

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神舘和典

神舘和典

1962年東京生まれ。音楽ライター。ジャズ、ロック、Jポップからクラシックまでクラシックまで膨大な数のアーティストをインタビューしてきた。『新書で入門ジャズの鉄板50枚+α』『音楽ライターが、書けなかった話』(以上新潮新書)『25人の偉大なるジャズメンが語る名盤・名言・名演奏』(幻冬舎新書)など著書多数。「文春トークライヴ」(文藝春秋)をはじめ音楽イベントのMCも行う。

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