田原総一朗・ジャーナリスト
田原総一朗・ジャーナリスト

 ジャーナリストの田原総一朗さんは、日本経済を活性化させるためには、前向きな議論が必要だと指摘する

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 元日の「朝まで生テレビ!」は、私が思い切ってかなり自己主張を交えた問題提起をして、出演者たちにタブーなしでの経済活性化の方策を問うた。

 1980年代の日本経済は世界一で、ジャパン・アズ・ナンバーワンと称されていた。米国にどんどん輸出し、そのために米国は貿易赤字で経済が悪化した。当時のレーガン大統領は、米ソ冷戦時代であったのにもかかわらず、敵は日本だと決めつけ、日本経済を鈍化させるためにあらゆる方策を駆使した。強引に円高にさせ、スーパー301条など規制策を乱発。日本はバブル景気となり、その後バブルは崩壊した。

 バブル崩壊後、日本は深刻な不況に陥り、それ以降30年たっても経済は活性化していない。この30年間、欧州先進国も米国も、中国も韓国も、それなりに経済成長しているのに、日本経済はまったく成長していないのである。

 そんな日本経済を活性化させるにはどうすべきなのか。番組で問うと、デービッド・アトキンソン氏、小林慶一郎氏、田内学氏、たかまつなな氏ら12人の出演者たちが大討論を繰り広げた。出演者の誰もが心の底から考えたことをタブーなく、思う存分主張した。

 4時間の放送は、はじめから最後まで熱を帯びた議論が交わされ、結論らしきものは出なかったものの、こうした大討論こそが日本の強みだと感じていた。

 私は太平洋戦争を知っている最後の世代である。当時、欧州先進国や米国は、アジアのほとんどの国を植民地にしていた。日本は植民地にされないために、欧州や米国に引けを取らない軍事強国にならなければならなかった。そのために軍部が突出し、軍部を批判する政治家は粛清された。言論の自由は完全に封印され、勝ち目がまったくない戦争に突入せざるを得なかった。

 私が玉音放送を聞いたのは小学5年生の夏休みである。1学期までは先生たちが、この戦争は世界の侵略国である米英を打ち破り、植民地にされているアジアの国々を独立させるための正義の戦争だ、と強調していた。だが、2学期になると、あの戦争は絶対にやってはならない間違いの戦争だった、と言うことが百八十度変わった。先生たちだけでなく、ラジオや新聞などの論調も百八十度変わったのである。ともかく、日本中が「平和」と叫んでいた。

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田原総一朗

田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数

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