人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子さんの連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、政府が閣議決定した「安保三文書」について。

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 なんとも、もやもやしている。このもやもやを引きずったまま、新しい年を迎えるのがやりきれない。

 例の安全保障関連三文書である。日本が軍拡の世界的流れに乗るのか、違う方向はないのか。国会での論戦もなく、閣議決定してしまう。何のために私たち国民の代表たる国会議員がいるのか。国民はもっと怒らねばならない。

 敵基地攻撃能力を持つことが抑止力になるという、一見もっともらしい理屈に疑問を持たないではいられない。そのあたりがあいまいなまま次の段階に踏み込んでいく恐ろしさ! 私は太平洋戦争を知っているから、国民は何も知らず納得しないまま、気がついたら空襲警報のただ中にいたことを忘れない。いつだってそうなのだ。気がついた時には戦争にすでに入っている。

 なぜその前に国民に知らせ、議論する過程が明らかにされないのか。閣議決定とは何と為政者に都合のいいものか。しかも今回は、首相自身の考えがどこにあるのかはっきりしないうちに、うやむやに進んでしまう。

 果たして首相としての肝の据わった判断があるのか。世情の流れを見て、都合のいい方に乗っている気がする。だからこそふわふわとして国民は落ち着かないのだ。気のせいか首相の言葉にも重みや決意が感じられず、どことなく頼りない。

 日本は何かを決定する過程が常にはっきりしない。うやむやのうちに事は進行している。気がついた時はすでに遅しである。岸田首相は事の決定が遅いといわれるが、日本の将来の運命を決める大事には、時間をかけて、納得できる論議と説明が欲しい。でなければ、再び前の戦争の二の舞いになる。二度とごめんだ。

 二〇二二年を表す文字は戦だという。ウクライナをはじめとする紛争がその理由だろうが、実は来たるべき戦を示唆しているといってもいい。

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下重暁子

下重暁子

下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中

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