下重暁子・作家
下重暁子・作家

 人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子さんの連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、「萩原朔太郎と『』」。

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 猫が登場する文学作品といえば、漱石の「吾輩は猫である」をはじめとしていくつもあるが、詩人では、なんといっても萩原朔太郎であろう。

 私は、早稲田大学の国語国文学科で朔太郎を卒論に選んだのだが、詩集では感性のとんがっている「月に吠える」よりも成熟度を増した「青猫」の方が好きだ。

 朔太郎の青猫は、猫の実像というよりもむしろ、原始的なふしぎな生き物であり、この世を支配する猫の影といった方がいい。

 ここでの「猫」は、私たちが目にする猫とは形の異なる奇妙で原始的な生き物であり、それゆえに、より猫の本質に近い。

 もっとはっきり言えば朔太郎自身であって、朔太郎の心臓が憂鬱にふるえている姿であり、朔太郎の中では象徴でもなく夢でもなく、現実の猫があやしくも美しい孤独の姿をさらす。

 朔太郎の目を見るがいい。人間というよりも原始から続く生き物、例えば猫の目だ。というよりも私はあのぬめりのある目は爬虫類の目に似ていると思う。

 朔太郎に会ったことはないが、娘の葉子さんには時々会う機会があった。葉子さんもその目をしっかりと引き継いでいた。

 ついでに言うとその息子、萩原朔美さんの目も同じ系統だ。

 朔太郎のいう青猫の影を引き継いだ他の誰にもない目をしている。

 あれは原始から続く生物、青猫の影なのか、彼の中の猫は媚を売らず、一人の孤独に耐えている。そこが好きだ。

 私は大学時代、朔太郎の世界にどっぷり浸かり、ノイローゼだと自分で思い込み、精神科医を三人たずねたことがある。ロールシャッハ・テストなどをやり、三人とも答えは同じだった。

「あなたは正常です。医者をだましてはいけません!」

 今から考えると何を気取っていたのだろうか。それもこれも朔太郎の影響が大きかった。

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下重暁子

下重暁子

下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中

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