芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、インファンテリズムについて。

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 ある時、鮎川さんからインファンテリズムについて書いてくれますかというメールが送られてきた。この言葉はかなり昔に誰かが僕のことを書いた時に初めて知った言葉だった。その時は「幼児性」と判断したように記憶しているが、このインファンテリズムは僕の本質でもあると論評されていた。その後、ずっと経ってから僕は『新世紀少年密林大画報』(平凡社)というムック形式の本を編集することになって、巻頭に三島由紀夫さんの文を引用した。少し長いが紹介しよう。

「恥かしい話だが、今でも私はときどき本屋の店頭で、少年冒険雑誌を立ち読みする。いつかは私も大人のために、『前にワニ後に虎、サッと身をかわすと、大口あけたワニの咽喉の奥まで虎がとびこんだ』と云った冒険小説を書いてみたいと思う。芸術の母胎というものは、インファンティリズムにちがいない、と私は信じているのである。

 地底の怪奇な王国、そこに祭られている魔神の儀式、不死の女王、宝石を秘めた洞窟、そういうものがいつまでたっても私は好きである。子供のころ、宝島の地図を書いて、従兄弟と一緒にそれを竹筒に入れ庭に埋めたりして遊んだものであった」

 三島さんの言うインファンテリズムは、大人になっても精神が幼児のままでいることで、この状態こそ芸術の母胎であるとおっしゃる。そこで想い出したことがある。小学校を卒業する時、担任の先生が通知簿に父兄へのメッセージとして、僕に対する寸評に「今年中学に進学するというのに横尾君はいまだに幼児語が抜けないのが心配だ」と記されていた。養子に貰われた僕は老父母からいつまでも幼児のように育てられたので、先生の意見はもっともである。

 いつの間にか僕の中にピーターパンのような「大人になりたくない症候群」が根強く定着してしまっていたように思う。老齢を迎えた今でも僕は少年時代の熱血冒険世界から脱出できないで、密林物やターザンを絵のモチーフにしている。三島さんの言うように確かにこのような幼児性は僕の中で血湧き肉躍る芸術活動と深く結びついており、未知の世界への冒険によって異次元への扉を開き、やがて壮大な宇宙意識と合体していくのである。

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横尾忠則

横尾忠則

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。

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