下重暁子・作家
下重暁子・作家

 人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、「今年の一押し」美術館。

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 年末になると、今年の一押しが話題になる。そこで、私の一押し美術館を。

 四年前に初めて行き、今年十一月に再訪したが、前回にも増して印象づけられた。香川県高松市庵治町にある流政之美術館である。制作拠点であり、日本にいる間の生活の場でもあった。

 一度行って感激した場所には、二度と出かけないという流儀が、私にはある。初めての感慨が薄れてがっかりするからなのだが、最初に行ったのは流政之の没後まもない二〇一八年秋。まだ美術館となる前だったが、ツテをたどって弟子に頼み込み、在りし日のままの姿をとどめる館への来訪が実現した。

 坂を登ると緑の門の前に出る。落ち葉が溜まっている。使い込んだ煉瓦を細かく重ねた何層もの館の壁面に沿って登る。堂々たる流政之の城だ。

 廃墟の佇まいを漂わせ、坂を登り切ると正面に海が広がり、小豆島から天気のいい日は遠く淡路島や本州の影まで見える。その風光の明るさ、力強さに負けず屹立する彫刻群。中心に存在するサキモリ(防人)は流政之のテーマでもある。館の中をはじめ、様々な素材や形で存在を主張する。

 人形(ひとがた)の心臓部分は空(くう)である。そこに空の青があり雲が流れる。空(くう)であるからこそ、サキモリの気概を感じさせる。

 ここに滞在中、電話もひかず制作に没頭し、一人食事を作り、茶をたしなんだ。真ん中の館は生活空間であり、円型の茶室があり、白い大理石の大きな暖炉では火が燃えている。

 池には紅葉を一葉背に乗せて、鯉が泳ぐ。

 東洋と西洋の融和などという安っぽいものではない。それぞれが存在を主張して、しかも自然である。これほど雄大な調和を見たことがない。イタリアにも、南仏にも、どの画家の住まいにも。

 芝生に異様な形をしたものが置かれている。零戦のプロペラだ。流は海軍航空隊で、零戦の要員として裏千家前家元の千玄室と同期だった。創作の原点にもそれがある。

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下重暁子

下重暁子

下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中

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