文芸評論家・末國善己さんが選んだ「今週の一冊」。今回は『天下大乱』(伊東潤、朝日新聞出版 2310円・税込み)。

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 徳川家康が勝利し、天下人としての地位を決定的にした関ヶ原の戦いは、司馬遼太郎『関ヶ原』など何人もの作家が取り上げてきた。その多くは、家康が率いる東軍と石田三成を中心にした西軍の戦いだったとするが、常に最新の歴史研究を使って斬新な物語を作っている伊東潤の新作は、家康と毛利輝元の対立を軸にしている。

 大軍がぶつかる合戦は通常、終結まで数カ月以上かかっていたが、関ヶ原の戦いは、家康の巧みな戦略でわずか半日で決着したとされる。ただ家康の勝利は薄氷を踏むようなものだったともいわれ、東軍の主力を預けた徳川秀忠が、真田昌幸・信繁父子が守る上田城の攻略に手間取り遅参した、寝返りを実行しない小早川秀秋に怒った家康が鉄砲を撃ちかけた(問鉄砲)、西軍の島津軍が東軍の本陣を突っ切る形で撤退した(島津の退き口)などの逸話が残されている。

 また西軍主力の毛利家は、輝元が大坂城を出ず、関ヶ原で有利な南宮山に布陣した秀元も、前方にいた同族の吉川広家が動かず参戦できなかった(戦闘参加を要請する使者に、秀元が食事中と弁明したことから「宰相殿の空弁当」と呼ばれた)。毛利家が、不可解な動きをした理由には諸説ある。

 著者は関ヶ原の合戦の定説を覆したり、有名なエピソードをかつてない形に読み替えたりしているので、歴史が好きな読者ほど驚きも大きいのではないか。

 家康は、豊臣秀吉が死んだ直後から天下取りに向けて布石を打っていたとされる。だが本書では、同盟者の織田信長、関東の雄・北条家など、絶大な権力を握った武将が滅ぼされる現実を目にした家康は、幼い豊臣秀頼を補佐する形で天下に号令し、その役割を徳川家が受け継ぐ体制を目指していたとする。そのため家康は、同役の五大老を弱体化させる謀略をめぐらせ、豊臣政権の重鎮・前田利家の死を好機として前田家を屈服させ、次の狙いを東北の上杉景勝に定める。

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