人生の終わりにどんな本を読むか――。同人誌即売会で作品を発表する傍ら、商業誌への寄稿も行う、僕のマリさんは、「最後の読書」に『キッチン』(吉本ばなな)を選ぶという。

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「危ない!」が、人生で一番多くかけられた言葉かもしれない。その言葉をかけてくるのは家族、友達、恋人、そして道行く他人だったりする。私はとにかく、周りを見ていない。幼い頃からとにかく注意力散漫で、人にぶつかったり段差につまずいたり、平気で危ないこともしてしまう。直近の「危ない!」は、料理教室で包丁を使っていて、隣にいた生徒が目を剥いて私の手首を掴んだときだ。もう少しで指をちょん切るところだった。交通事故にも4回遭った。私の不注意と不運が、4回も大ごとを招いたのだ。そんなふうだから、私の手足には無数の傷跡があり、ガタガタの身体で生きている。

 たくさん危ない目に遭ってきたのに、何も気をつけてないのに、まだ死なないんだ、とふと思う。死ねないんだ、とも思ったことがある。人は簡単には死なないけれど、簡単に死ぬことができて、命なんて本当に頼りない。だけど、だけど、いつ楽になれるんだろう、そう考えていた時期が人生ですごく長かった。そんな、つらかった20代のはじめ、読んでいた吉本ばなな『キッチン』の文庫版のあとがきに心を撃ち抜かれた。

「感受性の強さからくる苦悩と孤独にはほとんど耐えがたいくらいにきつい側面がある。それでも生きてさえいれば人生はよどみなくすすんでいき、きっとそれはさほど悪いことではないに違いない。」

 この一文を読んだ瞬間にアパートの部屋でわんわん泣いて、これでもかというほど汗と涙と身体の水分を出し切ってぐったりした。ベランダに出て、熱くなった顔を夜風に当てて、もう一度手に取ったこの本は、なんだかずっしりと重かった。つらかったことも忘れない、と思った。

 この本を読んで以来、「あとがき」にとにかく惹かれる。作品に込められた願いや想い、ひとつの本を作るまでに至る物語にも興味があるのは、自分も文章を書くようになったからだろうか。私はあと何年生きるだろう、生きられるだろう。この人生の幕を閉じるとき、もう一度だけ『キッチン』を読んで、うれしい涙を流したい。

週刊朝日  2022年11月25日号