文芸評論家・清水良典さんが評する『今週の一冊』。今回は『踊る菩薩 ストリッパー・一条さゆりとその時代』(小倉孝保、講談社 2200円・税込み)です。

*  *  *

「一条さゆり」の名を聞いて懐かしいと思う人は、たぶん70歳以上のはずだ。伝説的なその名前を知ってはいても、彼女のストリップを直に見たことがある人はごく少数だろう。1937年生まれ(29年説もある)、97年没の一条の人生で、看板ストリッパーとして舞台に立ったのは、60年代中頃から72年までである。舞台で踊りながら「特出し」、つまり観客に性器を見せるサービスの過剰さで知られた。熱演のクライマックスにはキラリと光る「しずく」が垂れたという。警察に何度逮捕されても「特出し」をやめなかった一条は、「特出しの女王」の名をほしいままにしただけでなく、当時のウーマンリブや新左翼系の若者たちから「反権力」の象徴として偶像化された。神代辰巳監督の日活ロマンポルノ映画の傑作「一条さゆり濡れた欲情」(72年公開)も伝説化に一役買っている。

 しかし本書には、当時への懐旧やオマージュの念は皆無である。新左翼もストリップも今ではすっかり廃れてしまっている。そんな時代の隔たりを乗り越えて、本書は一条さゆりのいた時代を、戦後日本の歴史背景とともに今日の目で発掘しなおした試みである。

 たとえば一条の活躍のピークといえる72年を、本書は坪内祐三の『一九七二 「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」』(2003)を援用し、戦後日本の変動の分水嶺と重ね合わせる。貧しい敗戦国が一丸となって繁栄を追い求めた成長の時代から、72年以降は多様化した大衆化社会へ価値観が解体していく「おわりのはじまり」になると坪内は論じた。その年の引退興行の最中に一条は公然わいせつ罪で逮捕され、75年には懲役刑が確定した。そこから失意と暗転の長い晩年が始まった。

次のページ