「燃える人」(1955年) 前年に起きた第五福竜丸事件を題材にした作品。画面右下の爆心地から逃げる蛇のように細い燃える人が描かれる。左下には、擬人化した第五福竜丸が見える。核兵器のモチーフは、その後も岡本を捉え続けた 東京国立近代美術館蔵 写真、画像はすべて、(c)岡本太郎記念現代芸術振興財団(撮影/写真映像部・馬場岳人)
「燃える人」(1955年) 前年に起きた第五福竜丸事件を題材にした作品。画面右下の爆心地から逃げる蛇のように細い燃える人が描かれる。左下には、擬人化した第五福竜丸が見える。核兵器のモチーフは、その後も岡本を捉え続けた 東京国立近代美術館蔵 写真、画像はすべて、(c)岡本太郎記念現代芸術振興財団(撮影/写真映像部・馬場岳人)

「芸術は爆発だ!」──。晩年、そう言い残した岡本太郎。彼のイメージと言えば、ギラギラとした生命力を放つ絵画や彫刻だろう。しかし、初期作は「これをあの岡本太郎が?」と感じるほど“地味”だ。そこから浮かび上がる「世界のTARO」の新たな一面とは。

【写真特集】岡本太郎の初期作から戦後の作品がこちら

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「明日の神話」(1968年) 原爆が炸裂した瞬間を描いた大作で、会場では幅11メートルの下絵を展示。実物は幅30メートル、長らく行方知れずとなっていたが、2003年にメキシコで発見され、現在は渋谷駅の連絡通路に移設、公開されている 川崎市岡本太郎美術館蔵 写真、画像はすべて、(c)岡本太郎記念現代芸術振興財団(撮影/写真映像部・馬場岳人)
「明日の神話」(1968年) 原爆が炸裂した瞬間を描いた大作で、会場では幅11メートルの下絵を展示。実物は幅30メートル、長らく行方知れずとなっていたが、2003年にメキシコで発見され、現在は渋谷駅の連絡通路に移設、公開されている 川崎市岡本太郎美術館蔵 写真、画像はすべて、(c)岡本太郎記念現代芸術振興財団(撮影/写真映像部・馬場岳人)

 岡本が1930年代にパリで制作したと推定される「作品A」「作品B」「作品C」が、「展覧会 岡本太郎」で初公開されている。同時期の作品とされる「空間」「コントルポアン」「傷ましき腕」「露店」を含めたこれらの初期作は、岡本の作品らしくないと感じるかもしれない。また、彼の召集から復員まで(42~46年)の作品も同様だ。「師団長の肖像」「眠る兵士」からは、戦争に翻弄される岡本の姿が浮かぶ。東京都美術館学芸員の藪前知子氏は、戦争が彼に与えた影響をこう語る。「過酷な運命にこそ自分を投げ出すという信念を生んだこと。もう一つは、それまでのエリート意識が崩れ、自分も大衆の一人なのだと考えるようになったこと。だから岡本はパブリックアートや商品のデザインに力を入れました」。誰もが触れられる作品を通じて社会に挑み、大衆の創造性を呼び起こそうとしたのかもしれない。その表現の根底には、対立や矛盾が生み出す不協和音から新たな創造を目指す「対極主義」があった。観る側も全身で彼にぶつかってみたい。(取材・文/本誌・唐澤俊介)

週刊朝日  2022年11月18日号

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唐澤俊介

唐澤俊介

1994年、群馬県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。朝日新聞盛岡総局、「週刊朝日」を経て、「AERAdot.」編集部に。二児の父。仕事に育児にとせわしく過ごしています。政治、経済、IT(AIなど)、スポーツ、芸能など、雑多に取材しています。写真は妻が作ってくれたゴリラストラップ。

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