柳瀬博一(やなせひろいち)/ 1964年、静岡県生まれ。「日経ビジネス」記者、単行本編集者、「日経ビジネスオンライン」企画プロデューサーを経て、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授(メディア論)。著書に『国道16号線』など。(撮影:朝山 実=東京工業大学で)
柳瀬博一(やなせひろいち)/ 1964年、静岡県生まれ。「日経ビジネス」記者、単行本編集者、「日経ビジネスオンライン」企画プロデューサーを経て、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授(メディア論)。著書に『国道16号線』など。(撮影:朝山 実=東京工業大学で)

「僕らがパンツをはかせても親父はありがとうとも言わない。死んでいるんだから。でも返ってくるものがあったんです」

 2021年5月、静岡県の実家で父親を見送った「5日間」の体験を『親父の納棺』(幻冬舎 1540円・税込み)に綴った柳瀬博一さん。

 コロナ禍のため、入院中の父親とは半年以上、じかに会うことができず、実家で対面しても亡くなったことが実感できなかったという。享年87。通夜は自宅で、葬儀は地元のカソリック教会で営んだ。通夜の2日前、納棺師の女性に誘われ、和室に寝かせられた父親の着替えを弟と手伝った。

「彼女は必ず家族に声をかけられるそうですが、女性だと半分の人が手伝い、男性だとほとんどの人がやらないそうです」

 柳瀬さんは記者や編集者生活が長く、記録癖がある。「納棺の儀」にとりかかろうとする納棺師に「写真いいですか」とカメラを見せると、「いっぱい撮ってあげてください」との返事とともに「いっそ、お父様のお着替え、お手伝いされませんか」と言われた。

「0.1秒くらい迷いはありましたが、はいと言って、弟も引き込んでしまっていました」

 映画「おくりびと」を契機に納棺師の仕事は広く知られてきた。柳瀬さんも関連する取材をしたことがあり、その厳かな所作を覚えている。だから素人の自分が手伝いをすることなど想像もしなかった。

 着替えの際、白装束ではなく「お父様がお好きな服を着せてあげましょう」と言われ、洋服ダンスを開けると、初めての給料でプレゼントしたネクタイが見つかった。おしゃれなスーツも入っていて「これは私が買ったのよ」という母たちとにぎやかな会話が生まれた。

次のページ