自身や家族のことを綴ったエッセーが人気の岸田奈美さん(左)と「スープ作家」こと有賀薫さん(右)
自身や家族のことを綴ったエッセーが人気の岸田奈美さん(左)と「スープ作家」こと有賀薫さん(右)

 原稿用紙に作品を書きため、出版社に持ち込むのが作家のデビュールートだったのは昭和の時代。近頃は、インターネットへの投稿がきっかけで出版につながるケースも珍しくない。書き手の軌跡や、編集者側の視点を探った。

【写真】「スープ作家」の有賀薫さんによる手軽に作れるスープはこちら

*  *  *

 ユーモア溢れる文体で、ダウン症の弟や下半身麻痺の母親との日常を綴るエッセーが人気の岸田奈美さん(31)。『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)など3冊の著作があり、発行部数は累計5万部を超す。

 大学卒業後、障害者向けサービスを開発するベンチャー企業で広報職に就いた。あるとき、弟と出かけた旅行の思い出をフェイスブックに投稿したところ、知人からブログで発信したらと勧められた。配信サイト「note」にアカウントを開設し、家族や自身を題材としたエッセーを投稿するようになった。

 中には閲覧回数(PV)が100万を超す「バズった(ネット上で反響を呼んだ)」記事もあった。だが「1回バズったくらいで仕事はきません。2回目以降は『一発屋ではない』と思ってもらえたのか、単発の原稿依頼をいただけるようになりました」と言う。

 原稿の多くは3千~4千字。原稿料にして数万円ほどで、会社員と同程度の収入を得るには10本程度の執筆が必要だ。

「エッセーで書くようなネタは人生で一度経験できるかどうか。それで月10本は無理だと思ったので、会社を辞める気はまったくなかったです」

 気持ちが変わったのは数カ月後。単著を出版することになり、打ち合わせの席で編集者の佐渡島庸平さんに出会ったことがきっかけだった。

「『岸田さんは自分がたくさん傷ついてきたからこそ、ひとを傷つけない文章が書ける』と言っていただけたことがすごくうれしかった。会社では怒られてばかりでしたが、場所を変えればそんな自分も価値になる。なら仕事を辞めよう、とすっと思えたんです」

 約10年勤めた会社を辞め、専業作家となった現在、印税には頼らず、1カ月1千円の有料マガジンを生計の柱にする。

次のページ