詩人の蜂飼耳さんが評する『今週の一冊』。今回は『掌に眠る舞台』(小川洋子、集英社 1815円・税込み)です。

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 舞台とは何だろう。たとえば、古代ギリシアの円形劇場の遺跡は、人間と舞台との関係の古さを物語る。聖と俗、現実と非現実との境がかいま見られる場だ。舞台は心を揺さぶり、思いがけない体験をもたらす。小川洋子の『掌に眠る舞台』は、舞台にまつわる八つの短編小説を収める。

「指紋のついた羽」は、縫製工場の縫い子さんと金属加工工場で働く父を持つ少女の関係を描く。二人はバレエ『ラ・シルフィード』のチケットをもらって一緒に観に行く。妖精と青年の悲恋の物語だ。少女はラ・シルフィードの世界に夢中になり、妖精宛ての手紙をしたためるようになる。

 工具箱を逆さにして、その上でラジオペンチやバネやビスやゴムなどの工具を動かす少女の姿を、縫い子さんは目撃する。打ち捨てられた工具たちによって上演されているのはラ・シルフィードなのだ、と縫い子さんは気づく。憧れが日常の寂しさを包みこむ。その切実さは胸に迫る。

「ユニコーンを握らせる」の「私」は、大学の入学試験を受けるために数日間、初めて会う親戚の女性のもとに滞在する。女性はローラ伯母さんと呼ばれている。ローラはテネシー・ウィリアムズの戯曲『ガラスの動物園』のヒロインの名。ローラ伯母さんは若いころの一時期、女優だったという。印象的な声の持ち主で「一度耳にしたら、声の生まれる源流を覗き込んでみたいと思わずにはいられない気持ちにさせられた」。

 ローラ伯母さんの家にある食器は底の部分にローラの台詞が書かれている。大皿、小鉢、取り皿、茶碗、スープボウル、ケーキ皿、ティーカップなど、すべてだ。飲み終わったり、食べ終わったりして食器の底に台詞の文字が現れ出ると、ローラ伯母さんはそれを見事な台詞回しでよみがえらせる。哀愁と輝かしさとがローラ伯母さんを彩る。「私」はローラ伯母さんのその後を知らない。ともに過ごした数日の記憶がいつまでも心に残る。

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