文庫で復刊された『北帰行』。河出書房新社で担当したのは、1987年入社の高木れい子。入社当時、お酒が入るたびに先輩の編集者たちが「外岡さんが小説を書かないのは、残念だ」と嘆いていたのがずっと耳に残っていた。外岡が2011年に朝日退社後、コンタクトをとり、『カノン』『人の昏れ方』の二冊の本をとった。
文庫で復刊された『北帰行』。河出書房新社で担当したのは、1987年入社の高木れい子。入社当時、お酒が入るたびに先輩の編集者たちが「外岡さんが小説を書かないのは、残念だ」と嘆いていたのがずっと耳に残っていた。外岡が2011年に朝日退社後、コンタクトをとり、『カノン』『人の昏れ方』の二冊の本をとった。

 昨年暮れに心不全で亡くなった外岡秀俊の処女作が、先月河出書房新社から文庫で復刊された。

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 外岡のことはすでに、前のサンデー毎日で二度書いている。『世界名画の旅』を始めとする新聞記者らしからぬ名文の記事を次々ものし、2006年から2007年までは編集局長、ゼネラルエディターという管理職も務めた。朝日が従軍慰安婦問題や吉田調書問題で大揺れに揺れた2014年、辞任した木村伊量(ただかず)にかわって外岡を社長にする話もあった。木村伊量の前の社長秋山耿太郎(こうたろう)が外岡に打診をしたが、すでに朝日を母親の介護のために退社していた外岡はうけなかった。

 この『北帰行』はその外岡が、朝日新聞に入る前、まだ東大の学生時代に書いた小説だ。1976年に単行本になっている。今回、この小説をとりあげることにしたのは、この半世紀前の小説と外岡のその後の朝日での生き方自体が、現在苦境にある新聞の再生のヒントになるような気がしたからだ。

 この小説は、U市という炭鉱街で生まれた三人の男女の失われゆく故郷と、石川啄木が、盛岡での代用教員を辞め、一年だけ北海道に暮らしたその足跡を重ね合わせて描く。

 実は今、読んでみると、この北海道時代の石川啄木は、未来の外岡を暗示しているようだ。詩人石川啄木は、すでに北海道にわたる時には、その詩名はとどろいていたが、もちろんそれだけでは、食べていくことができず、函館の新聞社に職をえて記者となるのだった。

 外岡も、小説で食べていこうとはしなかった。この『北帰行』が文藝賞という賞を受賞し話題になったにもかかわらず、翌年には朝日新聞に就職し、小説家としての活動は封印する。

 ところで、もし、私がこの文庫『北帰行』の担当者だったならば、解説には、沢木耕太郎が1992年4月に書いた「幻の『西四十三丁目で』」というエッセイを、解説にかえる形でそのまま収録したような気がする。

 沢木は、ニューヨークを仕事で訪れていた時、当時朝日新聞で連載中の「彼らの流儀」の執筆に、朝日新聞のニューヨーク支局の机を借りることにする。ここで、沢木は、初めて外岡に出会うのだが、最初は気まずい思いをした。というのは、外岡の『北帰行』を新聞の書評でとりあげていたのだが、<いくつかの細かい欠陥をあげつらうような文章を書い>ていたからだ。

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下山進

下山進

1993年コロンビア大学ジャーナリズム・スクール国際報道上級課程修了。文藝春秋で長くノンフィクションの編集者をつとめた。聖心女子大学現代教養学部非常勤講師。2018年より、慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授として「2050年のメディア」をテーマにした調査型の講座を開講、その調査の成果を翌年『2050年のメディア』(文藝春秋、2019年)として上梓した。著書に『アメリカ・ジャーナリズム』(丸善、1995年)、『勝負の分かれ目』(KADOKAWA、2002年)、『アルツハイマー征服』(KADOKAWA、2021年)、『2050年のジャーナリスト』(毎日新聞出版、2021年)。元上智大新聞学科非常勤講師。

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