人生の終わりに読みたい本とは? 講談師の神田京子さんが選んだのは『桂馬の高飛び』(二代目神田山陽、中公文庫)。

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この所、新作台本を作り高座に掛けるという機会が増えている。題材は人物伝。出世噺の類ではなく「今の状況を受け入れる」、「足元を見つめ直す」という内容だ。コロナ禍の二年間で作った講談は「金子みすゞ伝」、「渋沢栄一伝」……。他にも鴨長明「方丈記」、自由律俳句の「種田山頭火」といった世の中を俯瞰した作品や人物に心惹かれ、いつか講談にしたいと勉強中!

「貧しくとも努力すれば出世する」「権力にたてついてやる」という従来の講談に多かったテーマは、確かに人々を支え、恨みつらみの感情も仇討物や怪談噺に乗せて大衆の胸をスカッとさせた。しかし、一度この辺で視点を変えた講談が出てきても良いのではないかと私は思うのだ。今最も必要なのは、「許し合うこと」ではなかろうかと。

 みすゞさんの詩から引用すれば「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」(「星とたんぽぽ」)という世界観。経済発展の裏の犠牲までも想像すれば、今あるモノに感謝し、有意義な人生を歩もうと希望が湧いてくる。「金子みすゞ」も「渋沢栄一」も「鴨長明」も「山頭火」も大切にしてきた価値観だ。

 終わらない戦争、止まらない環境破壊……。このままの状況で、拳を突き上げた講談は私には出来ない。拳をも包み込むような噺を届けたい。そのために、まだまだこれから沢山の本を読むと思うが、最後の読書は何になるだろう。

 前座時代2年目の夏。師匠二代目神田山陽が91歳の誕生日を迎える直前。入院先の病院で、七夕の短冊を飾る機会があり、「望みを教えてください」と尋ねると、「望むことは何もありません。ただ少しの食事にありつければそれで結構です」とおっしゃった。その3カ月後に逝去。太平洋戦争も経験し、激動の時代を講談で駆け抜け、大所帯の神田一門を作り業界を再興して来た人の最期の言葉。体力が衰えて来ても愚痴一つ溢さない姿は見事だった。

 もし私が人生最後に読むとすれば、そんな師匠の自伝『桂馬の高跳び』だろうか。講談に一所懸命に打ち込む姿を自分に重ねて死ねたら本望だ。

週刊朝日  2022年9月16日号