『まんが道』藤子不二雄Aより。(C)藤子スタジオ
『まんが道』藤子不二雄Aより。(C)藤子スタジオ

 西武池袋線の椎名町駅をおりると、おおきな絵看板が私たちを迎えてくれる。

【写真】多くの名作を世に送り出した藤子不二雄(A)さん

「ようこそ! トキワ荘のあった街 椎名町へ」という文字の下に、「サイボーグ009」「ドラえもん」「天才バカボン」などのキャラクターたちが、ふるぼけたアパートの屋根の上で躍っているイラスト。

 そう、東長崎駅と椎名町駅の間にかつてあったトキワ荘というアパートには、1950年代に、若き日の手塚治虫、安孫子素雄(後の藤子不二雄A)、藤本弘(後の藤子・F・不二雄)、石森章太郎(後の石ノ森章太郎)、赤塚不二夫らが下宿していた。

 トキワ荘自体は、1982年12月に解体されているのだが、そのトキワ荘があった場所からすぐ近くの南長崎花咲公園に、トキワ荘をそっくり模したアパート状のミュージアム「トキワ荘マンガミュージアム」が開館したのが、2020年7月。しかし、コロナ禍とぶつかってしまったため、閉館している時も多く、ようやく先日、かつての商店街通りをとおってこのミュージアムに行ってきた。

 このトキワ荘につどったマンガ家たちの中に、今はもうほとんど忘れ去られてしまったが、寺田ヒロオというマンガ家がいる。

 私にとっては、藤子不二雄Aの描いた『まんが道』を、中央公論社の愛蔵版(1986年刊)で買ってくりかえし読んでいたころの、「テラさん」のたのもしいイメージがくっきり残っているマンガ家だ。

 富山から上京してきた安孫子と藤本は、マンガ家としてデビューするが、連載をうけすぎ、正月郷里に帰って遊んでしまい、すべての原稿を落としてしまう。

「スグゲンコウオクレ」「マダマニアウ」と矢の催促だった電報が、「モウマテヌ」「オクルニオヨバズ ヨソヘタノンダ」と変わり、なんの連絡もなくなり、「まんが道」を断たれたかに見えた二人に、手紙を送って上京を促し、もういちどやりなおすことを勧め励ましたのが、「テラさん」こと寺田ヒロオだった。

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下山進

下山進

1993年コロンビア大学ジャーナリズム・スクール国際報道上級課程修了。文藝春秋で長くノンフィクションの編集者をつとめた。聖心女子大学現代教養学部非常勤講師。2018年より、慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授として「2050年のメディア」をテーマにした調査型の講座を開講、その調査の成果を翌年『2050年のメディア』(文藝春秋、2019年)として上梓した。著書に『アメリカ・ジャーナリズム』(丸善、1995年)、『勝負の分かれ目』(KADOKAWA、2002年)、『アルツハイマー征服』(KADOKAWA、2021年)、『2050年のジャーナリスト』(毎日新聞出版、2021年)。元上智大新聞学科非常勤講師。

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