帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長
帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長

 西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「90歳を超えた人たち」。

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【見習う】ポイント

(1)最近、90歳を超えるまでは生きてやろうと思うように

(2)見習いたいと思う90歳を超えて魅力的な人がいる

(3)でも加島さんの女性にもてる力は見習えそうにない

 最近、86歳まで生きたのだから、少なくとも90歳を超えるまでは生きてやろうと思うようになりました。昔はそんな長生きを望んでいなかったのです。

 考えが変わったのは、17歳年上の元経済企画庁長官、相沢英之さんとお会いしてからです。当時、相沢さんは96歳。本誌で対談をしたのですが、大蔵省のエリートだった頃と変わらない頭の冴えに驚きました。顔の艶もいいし、歩き方が大股でリズミカルです。しかも若くて美人の秘書を連れていらして、対談が終わると近くの寿司屋さんに2人でさっと入られました。実に粋なのです。

 私なんか、まだまだひよっこだと思い知って、もっと長生きして相沢さんに近づきたいと思うようになりました。

 私が見習いたいと思う90歳を超えて魅力的な方が、何人かいます。

 94歳で亡くなった佐藤初女さんもその一人です。初女さんは青森で、悩みを抱えた人などを受け入れる癒やしの場「森のイスキア」を主宰されていました。毎年、私の病院がある埼玉県川越市で講演をされ、そこの懇親会でご一緒するのが楽しみでした。お互い酒好きです。初女さんは目を細めて、日本酒を一口ずつ、丁寧に盃を口に運びます。その仕草が好きでした。

 亡くなる1、2年前、私が森のイスキアを訪れて、帰ろうとするとスタッフに呼び止められました。初女さんの部屋に行くと、彼女が「これを見てください」と右の乳房をポロッと出すのです。急なことで驚きましたが、ピンポン球ぐらいの丸い腫瘍がすぐ目につきました。乳がんです。うちの病院で手術をして欲しいといわれたのですが、忙しくて、来院は3カ月後。すでにリンパ節転移が起きていたので、ホルモン剤での治療を勧めたところ、「私は薬が嫌いだからいいです」と盃を口に運ぶときの仕草のように軽やかに言われてしまいました。初女さんは、もう死を受け入れていたのです。そのさわやかな風情に感銘を受けました。

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帯津良一

帯津良一

帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中

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