芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、急性心筋梗塞で搬送されたその後について。

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 心臓へのカテーテルが終って、病室にストレッチャーで運ばれたのが午後遅くだった。身体中に何やらチューブが何重にも巻きつけられて荷造り物みたいだった。ベッドに移されると同時に再び500ccの水分補給とかの5時間の点滴が始まった。遅い昼食が運ばれたが、食欲はない。すでに何日も日が過ぎているように思えたが、発作が起こったのはまだ10時間前だ。急遽(きゅうきょ)搬送をされてからの目まぐるしい検査と手術などに、一秒の隙間もないほど、色んな施術がつまっていて、身体は物化されたままで、人格もへったくれもないまま時間を飛び越えてしまっていた。

 この日はとうとう一睡もできないまま極度に衰弱した肉体は2日目を迎えた。早くて2日後の日曜日に退院できるとは朗報だったが、病院で2日も過ごすなど極限の疲労である。今すぐにでも退院したくなったので先生の許可をもらって、事務所の徳永が迎えに来てくれて、退院してしまった。病状を考えるとええのかな? という疑問はあったが、これ以上入院すると、あの悪夢から解放されないような気がした。

 もう一度、心電図とエコーを撮るために退院の3日目病院を再訪。施術担当の先生から診察を受けて「手術は成功」との報告を再度受けて多少は安心したものの、あの4日前がまるで悪夢の虚構のように思われて、ここにいる自分はあの日の分身のように思われた。まだ爆弾をかかえた状態で一喜一憂するが、退院したからといって、すぐ仕事をするのは困ります。最低2週間はジッとしていて下さい。絵は絶対描いてはダメです。以前、日展の出品画家が心筋梗塞(こうそく)で倒れて、退院と同時に絵を描いたのがたたって、再び入院する羽目になりました。文章を書くのは問題ないが絵はダメです。絵がダメなのは文章と違って肉体の作業だからです。確かに絵と原稿は全くちがうツールを活用しています。文章は観念的で頭脳的な作業ですが、絵は肉体とその内部に潜むエネルギーが半端なものではないので、しばらく絵筆をとらないようにして下さいと念を押される。確かに文章は頭脳的な作業で肉体とは切り離せるが、絵は肉体と直結している。文章のような知的で観念的な作業というより、魂と直結した霊的な作業です。

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横尾忠則

横尾忠則

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。

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