青柳政司さん(今年1月の取材時に撮影)
青柳政司さん(今年1月の取材時に撮影)

 7月6日に急逝した空手・誠心会館館長でプロレスラーでもあった青柳政司さん(享年65)。13日発売の「週刊プロレス」が1ページの追悼特集を組んだほか、今もSNSには故人をしのぶプロレスファンの声が寄せられ続けている。8、9日に地元・愛知県豊田市内で営まれた通夜・葬儀には、誠心会館の弟子たちが行列を作り、プロレス界からは過去に何度もリングの内外で戦った大仁田厚、新日本プロレスのユニット「平成維震軍」の戦友・越中詩郎と小林邦昭らが足を運んだ。

【写真】プロレスデビュー戦で大仁田厚に回し蹴りを入れる青柳政司さん

「喪主の意向で死因は明らかにされていないのですが、6月26日に開催された審査会(昇級・昇段試験)に出席し、亡くなる2日前まで道場で指導されていました。それだけに門下生一同、いまだに信じられない状態です」(誠心会館・鈴木大輔4段)

 青柳館長といえば、1980年代後半に大ブームとなった異種格闘技戦に空手界からプロレスに殴り込み、場外乱闘をいとわない激闘の数々で格闘技史に名を刻んだ。

 以前取材した際、空手家になるきっかけをこう話していた。

「私は中学時代、愛知県内ではちょっと知られた水泳選手だったので、推薦で高校に進学しました。ところが父親が持病で働けなくなり、やむなく中退したのです。そして家計を支えるため運送会社に助手として入社し、ストレス発散のため仕事の後に近所の道場へ通うようになりました」

 元々プロレスラーに憧れていたものの、当時は身長175センチが入門テストの目安とされていた。172センチの青柳館長は望むべくもなかった。

 だが、諦めずに練習に励んだ結果、78年11月、22歳で初出場した極真空手の「第10回オープントーナメント全日本空手道選手権大会」でベスト16まで食い込む快挙を成し遂げた。

 それが、人気アニメ『タイガーマスク』や『空手バカ一代』などの漫画原作者で、当時、極真空手の役員だった梶原一騎氏の目にとまり、「愛知に青柳あり」と注目を浴びるようになった。

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「プロレスラー青柳があるのは大仁田のお陰」