英国流の教養を身につけ、第2次世界大戦後は日本の復興に尽力した白洲次郎。生誕120周年の今、彼が1930年代に愛機ライカで撮影した写真が発表された。

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 終戦直後、吉田茂の側近としてGHQと対等に議論し、彼らに「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた白洲次郎。戦前の1930年代、商社で働いていた彼は仕事で頻繁に海外を訪れていた。

 その頃に次郎がライカで撮影したネガフィルムが、次郎・正子夫妻のかつての住まいで、現在は「旧白洲邸 武相荘」として公開されている茅葺きの母屋(東京・町田)から見つかった。それが次郎生誕120周年の今年、『写真家 白洲次郎の眼 愛機ライカで切り取った1930年代』(小学館)という写真集として刊行された。その大半が未発表写真だ。

 夫妻の長女・牧山桂子さんは、父が写真を撮っていたことを知らなかったという。

「昔のことはあまり聞いたことがなかったのですが、父は、こんな写真を撮っていたんだと思いました」

 次郎は何を見て、誰と過ごし、どんなことを感じながらシャッターを切ったのか。ここには次郎なりの美意識と、柔らかなまなざしがある。(文・構成/吉川明子)

週刊朝日  2022年7月22日号