井上章一(いのうえ・しょういち)/ 1955年、京都府生まれ。国際日本文化研究センター所長。専門の建築史・意匠論のほか広い分野について研究。『つくられた桂離宮神話』『美人論』『阪神タイガースの正体』『伊勢神宮』『京都ぎらい』など著書多数。
井上章一(いのうえ・しょういち)/ 1955年、京都府生まれ。国際日本文化研究センター所長。専門の建築史・意匠論のほか広い分野について研究。『つくられた桂離宮神話』『美人論』『阪神タイガースの正体』『伊勢神宮』『京都ぎらい』など著書多数。

 ふんどしがパンツに変わるまでを井上章一さんが論考した『ふんどしニッポン 下着をめぐる魂の風俗史』(朝日新書 979円・税込み)。日本の男たちは和装から洋装に変わってもふんどしは手放さず、20世紀前半まで多くの人が締めていたのだ。

「局部をじかに押さえつける下着は大陸にもヨーロッパにもなかったと思います」

 始まりは35年前、日本人の起源を考える形質人類学の研究会で抱いた疑問だった。確かに大陸から大勢の人が来たかもしれないが、大陸にふんどしを締める伝統はなく、太平洋側に締める民族が多い。ふんどしから見ると日本は東洋ではなく南洋に属するような気がする。東京大学の故・埴原和郎教授に問うと「骨の分析からは何とも言えない」という答えだった。

「おっしゃる通りなんです。でもね、そのとき埴原先生は井上くんに盲点を突かれたな、という表情を見せられたような気がしたんですよ。その頃からこの問題が私の中で引っかかっていました」

 2002年の著書『パンツが見える。』でズロース、パンティーの起源に挑んだとき、疑問が再燃し、資料を集め始めた。

「だけど、なかなか資料がなくてね。ズロースについては多くの言葉が費やされて活字が残っているのに、ふんどしは見落とされている。活字ではなく写真から攻めてみようと思ったのが3年ほど前です」

 勤務先の図書館にこもり、幕末以降の写真に付箋を貼っていった。

「下着だからそんなに写真はないだろうと思ったら結構残っている。しかも儀式ばったところにふんどし一丁の人が出てくるので、そもそもふんどしは下着なんだろうかと思い始めました」

 パンツ一丁で外を歩くのは恥ずかしいが、ふんどし一丁は様になる。その違いは何なのか? ふんどしでパリの街を歩いた幕末の遣欧使節の草履取、水着や労働着としてのふんどし、神事、三島由紀夫や唐十郎の状況劇場に至るまで、図版を交えて歴史がひもとかれる。

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